南京大虐殺=朝日新聞と中国の合作
投稿者: deltutiage2003 投稿日時: 2003/01/03 10:28 投稿番号: [6394 / 28311]
http://www.history.gr.jp/nanking/generation04.html
それら人々は南京事件に関しては全面的に否定的であった。
東京裁判が閉廷後も、ほとんど事実として認められる事も無く、論じる事も無く、日本人の中にも南京での事件について語るものも全くおらず戦後、日中戦争に関する書籍や文献にも全く引用される事が無く、忘れさられようとしていた。
ところが戦争が終わり、実際に南京を見てきた人達が昭和40年代中ごろから新聞社からいなくなると共に、突然あったあったと大騒ぎをし始める。
それが昭和46(1971)年8月末から12月までの間に、「朝日新聞」紙上にて衝撃的なレポートである「中国への旅」という本多勝一記者による記事である。(上写真参照)
このレポートは、当時の中国は文化大革命という狂気の時代であり多くの諸外国のマスコミは中国の行う狂気じみた粛清(しゅくせい)の嵐に批判し反論を行った。
その為、中国共産党が少しでも気に食わないとマスコミ各社は国外追放を受ける事となった。
昭和42(1967)年のサンケイ、毎日の国外追放理由は、毛沢東の似顔絵を新聞に掲載したというものだった。
また、読売新聞の追放理由は東京で読売新聞が主催するチベット秘宝展を開催したという事だった。
このような些細(ささい)な理由で朝日以外の各社は次々と中国から国外追放とされた。
だが朝日新聞1社だけは、国外追放を免れる為に、中国共産党へ奴隷(どれい)とも言えるような追従記事を平然と掲載し、さらには狂気の文化大革命を賞賛し、誤報や中国共産党の広報紙としての役割を担う事となる。
さらにこの頃、アメリカはベトナム戦争中で、戦争終結の為に北ベトナムとカンボジアのクメール・ルージュ(カンボジアで数百万人を殺害したポル・ポト政権)を支援していた中国と急速に接近した。
この際にも、朝日新聞は数百万人をも虐殺した、ポルポト政権に対して”ポル・ポトはアジア的優しさにあふれている”等と言った、虐殺肯定を行う記事を平然とそして次々と掲載していった。
いかに朝日が狂った行為に及んでいたか想像できよう、無論このような事ばかりしていたので、その後発行部数第1位から2位へと転落するのだが。
米中接近によって日本も、田中角栄首相の時代に中国共産党政権との国交樹立を果たす事となった。
日本は敗戦直後、蒋介石政権である中華民国を正式な中国代表と認めており、1949(昭和24)年の蒋介石率いる国民党政権(現台湾政府)と毛沢東率いる中国共産党(現中国政府)の内戦以降もその状態は続いていた。
この日中国交樹立を推進しようとする、当時の朝日新聞の故・広岡知男社長がいかに中国の為に事実無根であろうが記事にし、ウソの記事を平然と掲載していったか別項を参照して頂きたい。(「平和甦る南京」写真特集)
その中国賞賛記事の一貫として、朝日新聞の本多勝一記者による「中国への旅」や「朝日ジャーナル」「週刊朝日」での連載記事である。
それら人々は南京事件に関しては全面的に否定的であった。
東京裁判が閉廷後も、ほとんど事実として認められる事も無く、論じる事も無く、日本人の中にも南京での事件について語るものも全くおらず戦後、日中戦争に関する書籍や文献にも全く引用される事が無く、忘れさられようとしていた。
ところが戦争が終わり、実際に南京を見てきた人達が昭和40年代中ごろから新聞社からいなくなると共に、突然あったあったと大騒ぎをし始める。
それが昭和46(1971)年8月末から12月までの間に、「朝日新聞」紙上にて衝撃的なレポートである「中国への旅」という本多勝一記者による記事である。(上写真参照)
このレポートは、当時の中国は文化大革命という狂気の時代であり多くの諸外国のマスコミは中国の行う狂気じみた粛清(しゅくせい)の嵐に批判し反論を行った。
その為、中国共産党が少しでも気に食わないとマスコミ各社は国外追放を受ける事となった。
昭和42(1967)年のサンケイ、毎日の国外追放理由は、毛沢東の似顔絵を新聞に掲載したというものだった。
また、読売新聞の追放理由は東京で読売新聞が主催するチベット秘宝展を開催したという事だった。
このような些細(ささい)な理由で朝日以外の各社は次々と中国から国外追放とされた。
だが朝日新聞1社だけは、国外追放を免れる為に、中国共産党へ奴隷(どれい)とも言えるような追従記事を平然と掲載し、さらには狂気の文化大革命を賞賛し、誤報や中国共産党の広報紙としての役割を担う事となる。
さらにこの頃、アメリカはベトナム戦争中で、戦争終結の為に北ベトナムとカンボジアのクメール・ルージュ(カンボジアで数百万人を殺害したポル・ポト政権)を支援していた中国と急速に接近した。
この際にも、朝日新聞は数百万人をも虐殺した、ポルポト政権に対して”ポル・ポトはアジア的優しさにあふれている”等と言った、虐殺肯定を行う記事を平然とそして次々と掲載していった。
いかに朝日が狂った行為に及んでいたか想像できよう、無論このような事ばかりしていたので、その後発行部数第1位から2位へと転落するのだが。
米中接近によって日本も、田中角栄首相の時代に中国共産党政権との国交樹立を果たす事となった。
日本は敗戦直後、蒋介石政権である中華民国を正式な中国代表と認めており、1949(昭和24)年の蒋介石率いる国民党政権(現台湾政府)と毛沢東率いる中国共産党(現中国政府)の内戦以降もその状態は続いていた。
この日中国交樹立を推進しようとする、当時の朝日新聞の故・広岡知男社長がいかに中国の為に事実無根であろうが記事にし、ウソの記事を平然と掲載していったか別項を参照して頂きたい。(「平和甦る南京」写真特集)
その中国賞賛記事の一貫として、朝日新聞の本多勝一記者による「中国への旅」や「朝日ジャーナル」「週刊朝日」での連載記事である。
これは メッセージ 1 (gesogeso1032 さん)への返信です.