「千と千尋」の精神で−今年も洗脳を完了3
投稿者: rykutukgi 投稿日時: 2003/01/01 23:43 投稿番号: [6391 / 28311]
「(ワールドカップでは)思い思いに外国チームのユニホームを着て声援を送る日本人も、世界には新鮮に映った。顔に日の丸を塗って声をからす若者たちのナショナリズムは、軍国日本の熱狂とは異質のものだった。」
社説全体の中で異質な文章がこの部分です。さんざんナショナリズム批判を煽っていながら、いきなり、不自然に出てくるのがこの文章です。ワールドカップのナショナリズムは、軍国主義の熱狂とは異質?ある意味当たり前で、ある意味誤ったこの解説は、朝日がワールドカップスポンサーになってナショナリズムを盛り上げたことの弁明なのです。もし、ナショナリズムすべてを否定すると、韓国の排外的自己中心的ナショナリズムや朝日がW杯のスポンサーになったこと自体が否定されかねません。そのため、「学校で使われる日の丸はだめだけど、W杯の日の丸はいいんだよ」と自社の行動を弁明しているわけです。
●多神教の思想を生かそう
「宮崎駿監督のアニメ映画『千と千尋(ちひろ)の神隠し』が昨年、ベルリン映画祭で金熊賞を受けるなど、内外で大ヒットした。主人公の少女・千尋は神隠しにあい、異界の湯屋で働くことになる。そこには八百万(やおよろず)の神々が疲れを癒やしにくるのだが、中には奇妙な神や妖怪もやってくる。ヘドロまみれでひどい悪臭を放つ『河の主』。仮面をかぶり、カエル男やナメクジ女をのみ込んでは凶暴化する『カオナシ』。始末に負えない化け物たちだ。だが、むき出しの欲望が渦巻く湯屋にあって、千尋はひとり果敢に、しかし優しく彼らと向き合う。そうすることで、逆に彼らの弱さや寂しさを引き出すのだった。この地球上にも、実は矛盾と悲哀に満ちた妖怪があちこちにはびこって、厄介者になっている。それらを力や憎悪だけで押さえ込むことはできない。それが『千と千尋』に込められた一つのメッセージだったのではないか。」
この部分は今回の社説の中でもっとも重要な役割を果たしています。「千と千尋」の解説を行い、その映画のメッセージが社説の結論となる。多くの読者が知っている映画のストーリーを説明することによって、読者に親しみのわくストーリーとし、そして映画のメッセージを都合よく解釈して読者に植え付ける。そして、社説の結論を映画のメッセージが同じだと思わせるテクニックを使っています。もちろん朝日は、「一つのメッセージだったのではないか」と控えめな表現を使っていますが、ストーリーだった文章の中で、このメッセージの適否や映画の中でのこのメッセージの重要性の順位について異論を唱えるような読者はいません。かくして読者の頭の中では「『千と千尋』のメッセージ」=「社説の結論」という等式が成立し、社説全体が権威付けされるのです。
「古来、多神教の歴史をもつ日本人は、明治以後、いわば一神教の国をつくろうとして悲劇を招いた。そんな苦い過去も教訓にして、日本こそ新たな『八百万の神』の精神を発揮すべきではないか。厳しい国際環境はしっかりと見据える。同時に、複眼的な冷静さと柔軟さを忘れない。危機の年にあたり、私たちが心すべきことはそれである。」
あまりに漠然とした文章で、当たり前の結論であるため誰も反論がありません。かくして結論が受け入れられることにより社説全体への信頼が高まり、朝日が前半、中盤で書いていた、米国への嫌悪感や中国敵視のナショナリズム等が読者の頭の中に浸透します。もちろん、読者たるもの書かれていないことに疑問を持つことはありません。「『八百万の神』の精神」を捨てて、検定に合格した「作る会教科書」を解説・社説をあげて糾弾し、採択するべきでないという論陣を張ったのは他ならぬ朝日新聞です。教科書に明確な欠陥がないとわかると、「わかりにくい」というあら探しを行い、「西尾幹二はドイツ留学で性格が悪くなった」といった個人攻撃まで、なりふり構わぬ非難中傷していた朝日新聞に「複眼的な冷静さと柔軟さ」をみることはできませんでした。自分は異論に不寛容、他人には寛容を求める。自己矛盾を顧みない論説はまさにマスコミとしてなくてはない姿勢でしょう。
2003年、最初の社説。読者の気持ちになれない愚直な読売。読者を引きつけ、扇動と洗脳に長けた朝日。会社のカラーは今年も変わりません。
社説全体の中で異質な文章がこの部分です。さんざんナショナリズム批判を煽っていながら、いきなり、不自然に出てくるのがこの文章です。ワールドカップのナショナリズムは、軍国主義の熱狂とは異質?ある意味当たり前で、ある意味誤ったこの解説は、朝日がワールドカップスポンサーになってナショナリズムを盛り上げたことの弁明なのです。もし、ナショナリズムすべてを否定すると、韓国の排外的自己中心的ナショナリズムや朝日がW杯のスポンサーになったこと自体が否定されかねません。そのため、「学校で使われる日の丸はだめだけど、W杯の日の丸はいいんだよ」と自社の行動を弁明しているわけです。
●多神教の思想を生かそう
「宮崎駿監督のアニメ映画『千と千尋(ちひろ)の神隠し』が昨年、ベルリン映画祭で金熊賞を受けるなど、内外で大ヒットした。主人公の少女・千尋は神隠しにあい、異界の湯屋で働くことになる。そこには八百万(やおよろず)の神々が疲れを癒やしにくるのだが、中には奇妙な神や妖怪もやってくる。ヘドロまみれでひどい悪臭を放つ『河の主』。仮面をかぶり、カエル男やナメクジ女をのみ込んでは凶暴化する『カオナシ』。始末に負えない化け物たちだ。だが、むき出しの欲望が渦巻く湯屋にあって、千尋はひとり果敢に、しかし優しく彼らと向き合う。そうすることで、逆に彼らの弱さや寂しさを引き出すのだった。この地球上にも、実は矛盾と悲哀に満ちた妖怪があちこちにはびこって、厄介者になっている。それらを力や憎悪だけで押さえ込むことはできない。それが『千と千尋』に込められた一つのメッセージだったのではないか。」
この部分は今回の社説の中でもっとも重要な役割を果たしています。「千と千尋」の解説を行い、その映画のメッセージが社説の結論となる。多くの読者が知っている映画のストーリーを説明することによって、読者に親しみのわくストーリーとし、そして映画のメッセージを都合よく解釈して読者に植え付ける。そして、社説の結論を映画のメッセージが同じだと思わせるテクニックを使っています。もちろん朝日は、「一つのメッセージだったのではないか」と控えめな表現を使っていますが、ストーリーだった文章の中で、このメッセージの適否や映画の中でのこのメッセージの重要性の順位について異論を唱えるような読者はいません。かくして読者の頭の中では「『千と千尋』のメッセージ」=「社説の結論」という等式が成立し、社説全体が権威付けされるのです。
「古来、多神教の歴史をもつ日本人は、明治以後、いわば一神教の国をつくろうとして悲劇を招いた。そんな苦い過去も教訓にして、日本こそ新たな『八百万の神』の精神を発揮すべきではないか。厳しい国際環境はしっかりと見据える。同時に、複眼的な冷静さと柔軟さを忘れない。危機の年にあたり、私たちが心すべきことはそれである。」
あまりに漠然とした文章で、当たり前の結論であるため誰も反論がありません。かくして結論が受け入れられることにより社説全体への信頼が高まり、朝日が前半、中盤で書いていた、米国への嫌悪感や中国敵視のナショナリズム等が読者の頭の中に浸透します。もちろん、読者たるもの書かれていないことに疑問を持つことはありません。「『八百万の神』の精神」を捨てて、検定に合格した「作る会教科書」を解説・社説をあげて糾弾し、採択するべきでないという論陣を張ったのは他ならぬ朝日新聞です。教科書に明確な欠陥がないとわかると、「わかりにくい」というあら探しを行い、「西尾幹二はドイツ留学で性格が悪くなった」といった個人攻撃まで、なりふり構わぬ非難中傷していた朝日新聞に「複眼的な冷静さと柔軟さ」をみることはできませんでした。自分は異論に不寛容、他人には寛容を求める。自己矛盾を顧みない論説はまさにマスコミとしてなくてはない姿勢でしょう。
2003年、最初の社説。読者の気持ちになれない愚直な読売。読者を引きつけ、扇動と洗脳に長けた朝日。会社のカラーは今年も変わりません。
これは メッセージ 6390 (rykutukgi さん)への返信です.