遅すぎる難くせ
投稿者: sagam_2001 投稿日時: 2002/10/19 08:40 投稿番号: [5707 / 28311]
天声人語
10月19日
>愛国心という言葉が教育をめぐって語られるとき思い浮かべるのは、1世紀少し前の内村鑑三の言葉だ。「義務として愛国を呼称するの国民は愛国心を失いつつある国民なり」(『基督信徒のなぐさめ』)。
教育基本法改正をめぐって中央教育審議会が「愛国心」や「愛郷心」を盛り込んだ素案を示した。法律に盛り込むことは内村のいう「義務として」の愛国ということだろう。内村も愛国心を否定しはしない。ただ、それは自然に発達するもので、わざわざ「養成」するものではない、と。
▲『教育基本法に「愛国心」「公共心」盛る
見直し素案判明』
http://www.asahi.com/national/update/1017/001.htmlは見出しはいつもの“大発見,ご注進、ご注進!”ではあったが、ご注進先の中・韓・北朝鮮が“偏狭ナショナリズムの総本家”と気付いたか珍しく事実関係を述べるに留めていたが…。
>拉致被害者が帰郷した場面をテレビなどで見ていて、その素直な感情表現に心打たれた。抑えていた望郷の念が一気にあふれ出たようだ。愛郷心というのか、この感情はごく自然のものだろう。法律で説かれるまでもなく。北朝鮮では、被害者らは皆あちら流の「愛国教育」を受けたのではないか。そして故郷を思う気持ちをいったん心の奥深く閉じ込める必要があったかもしれない。しかし、とうてい消し去ることはできなかった。
▲愛郷心に目覚めた拉致被害者が将軍さまバッジをはずし日本への帰国意志を示すなら人語さまの言うとおり。
>もう一度内村の言葉を引けば「愛国の空言喧(かまびす)しくして愛国の実跡(じっせき)を絶つに至る」。つまり「愛国」の言葉が飛び交い始めるときが危ない。どこの国にもいえることだろう。
▲『どこの国にもいえることだろう』なら前述の総本家に言ったことはあるの。修辞のみの遊びなら「平和の空言喧(かまびす)しくして平和の実跡(じっせき)を絶つに至る」や「国交正常化の空言喧(かまびす)しくして国交正常化の実跡(じっせき)を絶つに至る」もいえます。
これは メッセージ 1 (gesogeso1032 さん)への返信です.
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