阪神襲撃事件、朝日記者の冥福を祈る1
投稿者: rykutukgi 投稿日時: 2002/05/03 22:50 投稿番号: [3792 / 28311]
5月8日朝刊、朝日新聞阪神支社襲撃事件時効についての社説です。似たような題名に結論に至っていますが、やはり中身は個性がでています。
・読売
「朝日事件時効 民主社会揺るがすテロを許すな」
「各都府県警間の広域捜査や、警察内部の連携がうまく機能しなかった。 犯行声明は、東京本社銃撃に繰り返し言及していた。にもかかわらず、社屋に弾痕を発見したのは八か月後だった。阪神支局事件は、この間に起きた。早く確認できていれば、より強力な警戒体制も取れたはずだ。物証を追う刑事部門と、情報を追う公安部門で縦割り捜査の弊害が生じて、効果的な情報のつき合わせがなかった。当時の幹部から一線の捜査員まで、情報交換のない不満が、今なお口をついて出るのは、一体どうしたことか。 」
これは読売社説の後半部分ですが、ほとんど警察内部の捜査に関する会議のように細かい指示が飛んでいます。社説の流れは警視総監の説教のごときです。政府の御用新聞、読売新聞。その視点は常に役人の管理職です。
・朝日
「本社襲撃時効 改めて決意を固める」
「テロは恐ろしい。しかし、私たちはそれに屈すまいと固く決意した。以来、それまでと変わらぬ姿勢で取材すべきことを取材し、記事にするよう努めてきた。それができたのは、多くの市民がこの卑劣な企てに怒り、私たちを励まし続けてくれたからにほかならない。全国の報道機関は暴力に立ち向かう意思で結束した。警察は本社の警備にも意を用いてくれた。まさに、戦後築き上げてきた民主主義社会の底力があったからこそだろう。 」
対して朝日。警察に守ってもらっていながら、警察への感謝の意思表示はなく、「民主主義社会の底力」というかっこいい言葉に置き換えています。批判するときは警察名指し、感謝するときは民主主義社会。決して権力に迎合しない朝日の姿勢には好感が持てます。
「個人がそれぞれに知りたいと思うことを知り、意見を発表し、他者の見解を批判する自由をもつ。なれ合いでまとまるより、異論が出る社会の方が進歩につながる、と信じ合う。私たちは、そのような社会のあり方を目指したい。そうでなければ自由な新聞は存続できないし、報道機関の自由が侵される社会では自由な市民もありえない。だからこそ、私たちは批判に謙虚に耳を傾け、過ちは自らの手で正さなければならないと思う。」
このあたりの文章力は朝日の独壇場でしょう。単に視点を今回の事件だけにとどめることなく、読者の身近な生活に結びつけて、読者を社説に引き入れています。
昨年は作る会教科書撲滅キャンペーンで、あらゆる手段で作る会を悪者にしたて、作る会への放火すらも「不審火」というベタ記事に落とし、常に反対派の行動を正当化しました。また、夫婦別姓社説では賛成派を「不寛容」と決めつけ、もはや賛成派の異論を受け付けない言論弾圧をしいた朝日ですが、このように書かれると「朝日新聞は異論に寛容なんだ」と勘違いしてしまいます。
また、朝日新聞が批判にどの程度耳を謙虚に傾けているのかしらべてみました。
「10月15日付朝日新聞「窓」の報道に対する建設省の書簡について」
http://www.mlit.go.jp/river/topics/mado/index.html
なんて謙虚に耳を傾けているのでしょう。相手の質問には正面から答えず、最後は話し合いの打ち切り。これぞまさに「謙虚に耳を傾け」た対応なのでしょう。
作る会歴史教科書を読んだこともなく、中身も知らなかった自称慰安婦をエスコートし、扶桑社へ飛び込み強行取材をしたことは記憶に新しいと思います。扶桑社側が朝日新聞記者に対し、強引な取材だとして説明を求めたところ、「説明が聞きたいなら朝日新聞本社まで来てほしい」と開き直り、名刺を押しつけて帰ったとのことでした。その後朝日に扶桑社が抗議したところ、朝日新聞社広報室は「取材にあたっては、応対に当たった扶桑社総務部の担当者に記者が名刺を渡したうえで、来訪・取材の意図を説明している。その際、担当者からも名刺をいただいており、適切な手順を踏んだ取材であると考える」 と抗議をあしらいました。これも批判に謙虚に耳を傾けての対応であったことに疑いの余地はありません。
・読売
「朝日事件時効 民主社会揺るがすテロを許すな」
「各都府県警間の広域捜査や、警察内部の連携がうまく機能しなかった。 犯行声明は、東京本社銃撃に繰り返し言及していた。にもかかわらず、社屋に弾痕を発見したのは八か月後だった。阪神支局事件は、この間に起きた。早く確認できていれば、より強力な警戒体制も取れたはずだ。物証を追う刑事部門と、情報を追う公安部門で縦割り捜査の弊害が生じて、効果的な情報のつき合わせがなかった。当時の幹部から一線の捜査員まで、情報交換のない不満が、今なお口をついて出るのは、一体どうしたことか。 」
これは読売社説の後半部分ですが、ほとんど警察内部の捜査に関する会議のように細かい指示が飛んでいます。社説の流れは警視総監の説教のごときです。政府の御用新聞、読売新聞。その視点は常に役人の管理職です。
・朝日
「本社襲撃時効 改めて決意を固める」
「テロは恐ろしい。しかし、私たちはそれに屈すまいと固く決意した。以来、それまでと変わらぬ姿勢で取材すべきことを取材し、記事にするよう努めてきた。それができたのは、多くの市民がこの卑劣な企てに怒り、私たちを励まし続けてくれたからにほかならない。全国の報道機関は暴力に立ち向かう意思で結束した。警察は本社の警備にも意を用いてくれた。まさに、戦後築き上げてきた民主主義社会の底力があったからこそだろう。 」
対して朝日。警察に守ってもらっていながら、警察への感謝の意思表示はなく、「民主主義社会の底力」というかっこいい言葉に置き換えています。批判するときは警察名指し、感謝するときは民主主義社会。決して権力に迎合しない朝日の姿勢には好感が持てます。
「個人がそれぞれに知りたいと思うことを知り、意見を発表し、他者の見解を批判する自由をもつ。なれ合いでまとまるより、異論が出る社会の方が進歩につながる、と信じ合う。私たちは、そのような社会のあり方を目指したい。そうでなければ自由な新聞は存続できないし、報道機関の自由が侵される社会では自由な市民もありえない。だからこそ、私たちは批判に謙虚に耳を傾け、過ちは自らの手で正さなければならないと思う。」
このあたりの文章力は朝日の独壇場でしょう。単に視点を今回の事件だけにとどめることなく、読者の身近な生活に結びつけて、読者を社説に引き入れています。
昨年は作る会教科書撲滅キャンペーンで、あらゆる手段で作る会を悪者にしたて、作る会への放火すらも「不審火」というベタ記事に落とし、常に反対派の行動を正当化しました。また、夫婦別姓社説では賛成派を「不寛容」と決めつけ、もはや賛成派の異論を受け付けない言論弾圧をしいた朝日ですが、このように書かれると「朝日新聞は異論に寛容なんだ」と勘違いしてしまいます。
また、朝日新聞が批判にどの程度耳を謙虚に傾けているのかしらべてみました。
「10月15日付朝日新聞「窓」の報道に対する建設省の書簡について」
http://www.mlit.go.jp/river/topics/mado/index.html
なんて謙虚に耳を傾けているのでしょう。相手の質問には正面から答えず、最後は話し合いの打ち切り。これぞまさに「謙虚に耳を傾け」た対応なのでしょう。
作る会歴史教科書を読んだこともなく、中身も知らなかった自称慰安婦をエスコートし、扶桑社へ飛び込み強行取材をしたことは記憶に新しいと思います。扶桑社側が朝日新聞記者に対し、強引な取材だとして説明を求めたところ、「説明が聞きたいなら朝日新聞本社まで来てほしい」と開き直り、名刺を押しつけて帰ったとのことでした。その後朝日に扶桑社が抗議したところ、朝日新聞社広報室は「取材にあたっては、応対に当たった扶桑社総務部の担当者に記者が名刺を渡したうえで、来訪・取材の意図を説明している。その際、担当者からも名刺をいただいており、適切な手順を踏んだ取材であると考える」 と抗議をあしらいました。これも批判に謙虚に耳を傾けての対応であったことに疑いの余地はありません。
これは メッセージ 1 (gesogeso1032 さん)への返信です.