今日はあまり批判しません
投稿者: uchuubanabreeze 投稿日時: 2006/08/02 23:41 投稿番号: [22121 / 28311]
今日も相変わらず「靖国神社
存続へ奔走」の見出しの記事です。
(・・・・以下それについて、)
*
「靖国史観」とはいいますが一定した史観があるのかなぁ。
宮司が代れば結構違うのでは?(たとえば筑波宮司と松平宮司)
(ただ崇敬奉賛会などの見方には変化は少ないかも?それでも
一致した歴史観ではないと思うけど?)
>
靖国が遊就館の展示や映画によって描きだす戦争は「自衛自存」
「植民地解放」が目的だったとして、侵略性を否定する。
⇒
この記述、正確なんだろうか?又、現在も行われているのだろう
か?・・・・「自存自衛が目的」は確かにそういう側面があった
ことは確かで「戦没者を御祀りする神社」の立場としては、
特におかしくは無い。
が、「殖民地開放が目的だったとして侵略性を否定する」は
正確な記述かなぁ?一方「侵略が目的でなかった」は正しいので
は?・・・「結果として侵略性がでてきてしまった」が近いのでは?
ひょっとして「植民地解放が目的だった」では無く「結果として
植民地の解放の契機となった」の記述だったらよいと思うが。
*
確かに「国家護持」ならこういった問題は起きなかった」かも
しれない。が、元々「反対したのは野党?」「アサ日」等では
なかったか。今日の記事は「それを容認している」とも取れるが、
「宗教色をなくしよう」と思っているのだろうな。しかしそこの
ところは「ある程度妥協しないと」却ってアブナイ方向に、
「靖国神社」を追いやってしまうことになるのではないか?
>
一人ひとりの戦没者を「英霊に祀ることによって、戦争の負
の側面は見えなくなる。
⇒
この個所こそはアサ日らしい、誤解だ。文字による印象・理解
の違いもあろうが、神道への理解もろくにないのに、始めから
批判的にとらえるからこういう誤解になるのだろう。
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