東トルキスタン
投稿者: kyurokuhachi 投稿日時: 2005/10/15 11:01 投稿番号: [20275 / 28311]
東トルキスタンで行われた核実験で75万人以上が遭難した
1964年(昭和39年)東トルキスタンのロップヌル(Lopnur日本ではよくロプノールと表記される)核実験基地で初めての核実験が行なわれた当時の英語新聞
今年9月に、反中系の大紀元時報・中国語版に、“東トルキスタンで行なわれた核実験で、75万人が犠牲に”という記事が出た。これをうけて、アメリカ政府系の自由アジアラジオウイグル語放送も、9月22〜23にこのニュースを報じた。東トルキスタン情報センターも9月23日ウイグル語で転載した。
それらの内容をここで日本語にまとめると、これらの記事は、60年代にロップヌル基地で行なわれた核実験で、75万人のウイグル人と核実験軍事演習に参加した解放軍戦士が放射性中毒になったことを明らかにした。第三回の核実験では、中国共産党政権は核の効果を確かめるため、陸軍および戦闘機を、“敵”として核実験場に入るよう命令したのだ。
極秘に実施された恐怖のテスト
文化大革命の混乱期に、共産党中国は世界征服の野望の実現へのステップとして、東トルキスタンのロップヌル地区で密かに連続して核実験を行なったのである。数え切れない人々を放射性中毒にし、彼らは若くして、自らの死の原因も知ることなく、命を失っていった。
75万人を死に追いやった東トルキスタンのロップヌル地区の核実験は、国防部長までつとめた張愛萍将軍が指揮した。
天から放たれた“厄災”
これらの核実験のうち1969年(昭和44年)の実験では、以下のように恐ろしいことが実行された。
張愛萍将軍の指揮下、核実験部隊は、予定の3カ月前にはロップヌル基地入りしていた。
50年代にソビエトで造られた爆撃機は、密かにこの基地を飛び立ち、核実験場に向かった。この実験場は地上にあり、今回は“戦場”という設定になっていた。そこには敵役を勤める兵士や、その戦闘機などが配置された。
その上に核兵器を落とすという情報は極秘扱いとされ、中国中央政府の一部の指導者以外は誰も知らなかった。解放軍の陸軍、空軍の指揮官、兵士などが互いにどういう任務か質問するのさえ禁止されていた。核実験場から200キロ離れた場所で、命令を待っている軍事演習部隊も、今回の軍事演習の本当の目的を全く知らなかった。
当時、陸軍部隊の兵士らは核実験場の“戦場”から敵役の軍用機の残骸と負傷者を輸送する任務のために派遣されていた。後方部隊の兵士らも“戦場”から水や土など、さまざまなサンプルを取ってくるように命令されていた。
これは メッセージ 1 (gesogeso1032 さん)への返信です.
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