社説:夏の終わりに-考えず、詰めず、ですか
投稿者: rykutukgi 投稿日時: 2001/08/28 01:43 投稿番号: [1685 / 28311]
二番煎じですが、コメントです。
あまりにもすばらしい朝日の社説、読売は比較すべきものを何も持っていません。この社説の背景は、朝日の度重なる警告にもかかわらず首相が靖国参拝を行い、さらに扇動社説・記事を書き続けたにもかかわらず、教科書の時のような反靖国のデモやテロが盛り上がらず、世論調査でも支持が過半数を上回っていることにあります。しかし、そのいらだちをそのまま怒りとしてぶつけても読者は乗ってこないと考え、さめた首相と賛成者への皮肉と首相の責任を問うた内容となっています。
・朝日27日社説
「夏の終わりに――考えず、詰めず、ですか」
まず、この見出し、他紙では見れない非常にユニークな物です。あきれ、第三者的、そして突き放すようなこの言葉の裏には、この言葉を自分の言葉と勘違いしながらこの社説を読み始める読者の視点的な優位性が隠れています。この言葉を投げかけられる誰かを、だめなやつだと見下すようなこのイントロダクションに、普段コンプレックスを持っており、他人を見下したいと無意識のうちに願っている、朝日の読者は知らず知らずのうちに引きつけられてゆきます。
「「私は見ているはずなんですよ」。元クレージーキャッツの犬塚弘さんが演じる「男」が語る。(中略)不安なこと、具合が悪いこと、面倒なこと。それを逃れる手だての一つは「考えない」ことだ。何の解決にもならないのに、とりあえず問題を先送りする。そんな経験を持つ人は少なくあるまい。」
気取った文章の基本です。本文に直接関係のない、できれば読者にとって身近な内容や知って得したと思われるような内容を枕に置いて、文章全体を格調づけます。無くてもあっても意味は変わりません。ここで言いたいのは、「不安なこと、具合が悪いこと、面倒なこと。それを逃れる手だての一つは「考えない」ことだ。何の解決にもならないのに、とりあえず問題を先送りする。そんな経験を持つ人は少なくあるまい。」ということです。ここで遠回しに、自分(ここでは読者を含む)以外の誰かが「そんな経験を持つ人」だということをまず暗示します。表現は遠回しであれば遠回しであるほど、文章の格調が高くなると勘違いしてしまいます。また、自分以外の誰かを良くない経験の持ち主であるという方向は、他人を見下したがっている読者にとって受け入れやすいロジックです。
「子どもの受難が目立った夏だった。列島のあちこちで、虐待があり、誘拐があった。子どものいのちが無造作に消された。大人たちが問題を見過ごし、考えず、有効な手を打てないでいるうちに、そんな時代になってきた。」
いきなり脈絡なく取り出される幼児虐待の現状。これは以降の小泉首相を靖国参拝にサブリミナル効果を起こすために配置されています。人間の記憶は周りの事象に影響されます。たとえばうまい物を食った時に知り合った人には好印象が残りますし、まずい物を食ったときに知り合った人には悪い印象が残るのです。幼児虐待や誘拐といった100人中100人に悪印象を残すこの事象を靖国参拝の前に配置することによって、靖国参拝に幼児虐待の悪印象が連続されるようになっています。
あまりにもすばらしい朝日の社説、読売は比較すべきものを何も持っていません。この社説の背景は、朝日の度重なる警告にもかかわらず首相が靖国参拝を行い、さらに扇動社説・記事を書き続けたにもかかわらず、教科書の時のような反靖国のデモやテロが盛り上がらず、世論調査でも支持が過半数を上回っていることにあります。しかし、そのいらだちをそのまま怒りとしてぶつけても読者は乗ってこないと考え、さめた首相と賛成者への皮肉と首相の責任を問うた内容となっています。
・朝日27日社説
「夏の終わりに――考えず、詰めず、ですか」
まず、この見出し、他紙では見れない非常にユニークな物です。あきれ、第三者的、そして突き放すようなこの言葉の裏には、この言葉を自分の言葉と勘違いしながらこの社説を読み始める読者の視点的な優位性が隠れています。この言葉を投げかけられる誰かを、だめなやつだと見下すようなこのイントロダクションに、普段コンプレックスを持っており、他人を見下したいと無意識のうちに願っている、朝日の読者は知らず知らずのうちに引きつけられてゆきます。
「「私は見ているはずなんですよ」。元クレージーキャッツの犬塚弘さんが演じる「男」が語る。(中略)不安なこと、具合が悪いこと、面倒なこと。それを逃れる手だての一つは「考えない」ことだ。何の解決にもならないのに、とりあえず問題を先送りする。そんな経験を持つ人は少なくあるまい。」
気取った文章の基本です。本文に直接関係のない、できれば読者にとって身近な内容や知って得したと思われるような内容を枕に置いて、文章全体を格調づけます。無くてもあっても意味は変わりません。ここで言いたいのは、「不安なこと、具合が悪いこと、面倒なこと。それを逃れる手だての一つは「考えない」ことだ。何の解決にもならないのに、とりあえず問題を先送りする。そんな経験を持つ人は少なくあるまい。」ということです。ここで遠回しに、自分(ここでは読者を含む)以外の誰かが「そんな経験を持つ人」だということをまず暗示します。表現は遠回しであれば遠回しであるほど、文章の格調が高くなると勘違いしてしまいます。また、自分以外の誰かを良くない経験の持ち主であるという方向は、他人を見下したがっている読者にとって受け入れやすいロジックです。
「子どもの受難が目立った夏だった。列島のあちこちで、虐待があり、誘拐があった。子どものいのちが無造作に消された。大人たちが問題を見過ごし、考えず、有効な手を打てないでいるうちに、そんな時代になってきた。」
いきなり脈絡なく取り出される幼児虐待の現状。これは以降の小泉首相を靖国参拝にサブリミナル効果を起こすために配置されています。人間の記憶は周りの事象に影響されます。たとえばうまい物を食った時に知り合った人には好印象が残りますし、まずい物を食ったときに知り合った人には悪い印象が残るのです。幼児虐待や誘拐といった100人中100人に悪印象を残すこの事象を靖国参拝の前に配置することによって、靖国参拝に幼児虐待の悪印象が連続されるようになっています。
これは メッセージ 1 (gesogeso1032 さん)への返信です.