台湾の或る個人の人生 2
投稿者: kyurokuhachi 投稿日時: 2004/10/26 11:00 投稿番号: [14307 / 28311]
許昭栄さんの言う「台湾籍老兵」とは台湾人で、詐網若しくは脅迫されて、国共
内戦に従軍した方達の事である。多くが、旧日本陸海軍軍人、軍属の方達であった。
国共内戦に破れた蒋介石は占領した台湾に逃げ込み、台湾の不法占領を続け、恐
怖による専制統治を強化する。 日本では昭和20年8月に戦争が終わった。しか
し、台湾人は武装難民政権である白色恐怖支那政権と戦い続けなければならなかっ
た。そして、それよりも強力な赤色恐怖支那政権が大陸にはあった。台湾人は、自ら
民主化運動で、この白色恐怖支那武装難民政権を克服し現在の台湾統治政権がある。
大陸では赤色恐怖支那専制政権が未だに存続している。
1954年、許昭栄さんは、また、米国に駆逐艦の引き取り要員として派遣される。
翌1955年許昭栄さんは帰国するが、この時、禁書を台湾に持ち込む。実はこの年、
東京で台湾共和国臨時政府が成立する。臨時大統領廖文毅博士が著した「台湾独立運
動10年史」の英語版を許昭栄さんは、台湾に持ち帰るのである。これが発覚し、反
乱罪として懲役10年を宣告され、1958年 緑島(火焼島)に流刑となる。
10年の刑期を終え、1968年に釈放となるが、政治犯、として厳しい監視の元に
置かれる。1972年、輸出商品に「Made in Taiwan, Republic of Taiwan」と表記した
との嫌疑で逮捕されるが4ヶ月の拘留尋問の後、証拠不十分で釈放される。その後は
貿易会社を設立して自営する。
釈放されて12年後の1980年、53歳で東海大学に入学し企業管理を学び、翌年、
始めて旅券を入手して、米国の査証を得てロスアンジェルスに渡り、UCLAの経営学講
座を受講する。
1984年 台湾で養殖した黒虎エビの市場開拓の為に渡米して、ベニハナのロッキー
青1985年 木氏などと知り合う。1985年 緑島の獄友である施明徳氏(後の民進党党
首)が獄中でハンガーストライキに入る。許昭栄さんは、これを支援するロスアンジ
ェルスでのデモに参加する。これが原因で、中華民国政府より旅券を取り消されてし
まう。
許昭栄さんは、日本のロスアンジェルス領事館に救援を求めるが冷たく拒否され
る。
許昭栄さんは、かっては日本国民であり、しかも、日本の防衛のために生命を捧げ
る覚悟で帝国海軍に志願し勤務したのである。本人が、希望するなら無条件で即時、
日本国籍が付与されて当然である。この国際常識は日本の外交官には通じなかった。
このような政府、役人がいることは日本人の責任である。日本人の恥である。
許昭栄さんは、当時、米国で亡命生活をしていた彭明敏博士(現総統府資政、
1996年民進党総統候補)に相談し、彼の勧めでカナダに政治亡命を申請して受け入れ
られる。
カナダに政治難民として、受け入れられた許昭栄さんはトロントに居を定める。
この時に大陸に遺棄された台湾老兵の問題に取り組み始める。その経緯は許昭栄さん
が涙と怒りで書いた「知られざる戦後 元日本軍・元国府軍台湾老兵の血涙物語」
に詳しい。
平成3年(1991年)台湾での民主化革命によりブラックリストから許昭栄さ
んの名前が削除され、台湾に帰国が可能になった。その時、許昭栄さんは「滞留大陸
台湾籍老兵要回家」の横断幕を掲げて帰国する。そして、台湾での許昭栄さんの台湾
老兵の台湾への帰郷、遺族への補償など、獅子奮迅の活動が始まる。 そして10余
年、未だ、解決を見ないこの問題に対する許昭栄さんの不屈の活動は現在も続いて
いる。
内戦に従軍した方達の事である。多くが、旧日本陸海軍軍人、軍属の方達であった。
国共内戦に破れた蒋介石は占領した台湾に逃げ込み、台湾の不法占領を続け、恐
怖による専制統治を強化する。 日本では昭和20年8月に戦争が終わった。しか
し、台湾人は武装難民政権である白色恐怖支那政権と戦い続けなければならなかっ
た。そして、それよりも強力な赤色恐怖支那政権が大陸にはあった。台湾人は、自ら
民主化運動で、この白色恐怖支那武装難民政権を克服し現在の台湾統治政権がある。
大陸では赤色恐怖支那専制政権が未だに存続している。
1954年、許昭栄さんは、また、米国に駆逐艦の引き取り要員として派遣される。
翌1955年許昭栄さんは帰国するが、この時、禁書を台湾に持ち込む。実はこの年、
東京で台湾共和国臨時政府が成立する。臨時大統領廖文毅博士が著した「台湾独立運
動10年史」の英語版を許昭栄さんは、台湾に持ち帰るのである。これが発覚し、反
乱罪として懲役10年を宣告され、1958年 緑島(火焼島)に流刑となる。
10年の刑期を終え、1968年に釈放となるが、政治犯、として厳しい監視の元に
置かれる。1972年、輸出商品に「Made in Taiwan, Republic of Taiwan」と表記した
との嫌疑で逮捕されるが4ヶ月の拘留尋問の後、証拠不十分で釈放される。その後は
貿易会社を設立して自営する。
釈放されて12年後の1980年、53歳で東海大学に入学し企業管理を学び、翌年、
始めて旅券を入手して、米国の査証を得てロスアンジェルスに渡り、UCLAの経営学講
座を受講する。
1984年 台湾で養殖した黒虎エビの市場開拓の為に渡米して、ベニハナのロッキー
青1985年 木氏などと知り合う。1985年 緑島の獄友である施明徳氏(後の民進党党
首)が獄中でハンガーストライキに入る。許昭栄さんは、これを支援するロスアンジ
ェルスでのデモに参加する。これが原因で、中華民国政府より旅券を取り消されてし
まう。
許昭栄さんは、日本のロスアンジェルス領事館に救援を求めるが冷たく拒否され
る。
許昭栄さんは、かっては日本国民であり、しかも、日本の防衛のために生命を捧げ
る覚悟で帝国海軍に志願し勤務したのである。本人が、希望するなら無条件で即時、
日本国籍が付与されて当然である。この国際常識は日本の外交官には通じなかった。
このような政府、役人がいることは日本人の責任である。日本人の恥である。
許昭栄さんは、当時、米国で亡命生活をしていた彭明敏博士(現総統府資政、
1996年民進党総統候補)に相談し、彼の勧めでカナダに政治亡命を申請して受け入れ
られる。
カナダに政治難民として、受け入れられた許昭栄さんはトロントに居を定める。
この時に大陸に遺棄された台湾老兵の問題に取り組み始める。その経緯は許昭栄さん
が涙と怒りで書いた「知られざる戦後 元日本軍・元国府軍台湾老兵の血涙物語」
に詳しい。
平成3年(1991年)台湾での民主化革命によりブラックリストから許昭栄さ
んの名前が削除され、台湾に帰国が可能になった。その時、許昭栄さんは「滞留大陸
台湾籍老兵要回家」の横断幕を掲げて帰国する。そして、台湾での許昭栄さんの台湾
老兵の台湾への帰郷、遺族への補償など、獅子奮迅の活動が始まる。 そして10余
年、未だ、解決を見ないこの問題に対する許昭栄さんの不屈の活動は現在も続いて
いる。
これは メッセージ 14306 (kyurokuhachi さん)への返信です.