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台湾の或る個人の人生

投稿者: kyurokuhachi 投稿日時: 2004/10/26 10:59 投稿番号: [14306 / 28311]
件名:「台湾の声」【論文】許昭栄さんー不屈の台湾精神(附・無名戦士慰霊祭案内)

【転送歓迎】※文末に「元日本軍・国府軍戦没台湾無名戦士慰霊祭」の案内

       許昭栄さんー不屈の台湾精神/台湾で今も続く戦後

                     英霊奉賛日台交流会事務局長
                              福村良治

  日本海軍に雪風と言う駆逐艦があった。多くの激烈なる海戦に参加したが、
強運で終 戦まで撃沈を免れた艦である。 戦後、中華民国海軍に引き渡され丹
陽と命名され、名前が変わる。

  台湾の高雄市に許昭栄さんと言う方がおられる。一時、この丹陽の機関兵を
されていた方だ。現在は、バシー海峡で海没した帝国陸海軍将兵20万余を祀
る、猫鼻頭の潮音寺の維持活動に現地で粉骨砕身の協力をしてくれている方であ
る。また、高雄市の旗津で、台湾老兵世界平和祈願公園の建設を目指している方
である。そして、台湾籍老兵の台湾への帰国、遺族、留守家族に対する補償問題
に取り組む全国元国府軍台籍老兵及び遺族協会創会の理事長をしておられる。

  許昭栄さんは、昭和3年(1928年)生まれ、旧大日本帝国海軍台湾特別志
願兵で昭和20年(1945年)には特攻機桜花の出撃作業をしていた。

  昭和20年の日本の敗戦により、台湾に進駐した国民党軍は「老人も子供もい
る32師団」と言われるように、大陸では、兵役制度ではなく、拉丁と呼ばれる
壮丁を拉致して軍に編入する方法が一般的だった。昭和22年228事件以前は、
まだ、国民党及び、国民党軍の実体に関しては台湾人の認識は薄かった。主に旧日
本陸海軍特別志願兵、高砂義勇隊生還者などが復員して就職を捜していた。国民
党軍は、これを好餌を持って詐網し、約15000名を軍に編入して大陸に送り、
国共内戦を戦わせた。

  昭和22年(1947)、台湾では228事件が起きる。これにより、国民党、国民
党軍の正体を知った台湾人は誰も国民党軍などに応募しなくなった。

  228事件後、許昭栄さんは旧日本海軍軍人故に清郷の対象となる。危険分子と
して銃殺の候補者である。逃れる路はただ一つ、国民党軍海軍の徴募に応じること
であった。当時の国民党海軍は訓練された兵員が絶対的に不足していた。
  228事件後は許昭栄さんのように、脅迫により軍に編入される場合が多く、
以前のように、詐網されて国民党軍に入ってしまった人数は少ない。

  許昭栄さんは技術員兵大隊に編入され大陸の青島に送られる。許昭栄さんのよう
に海軍に編入されたのは少数で多くは陸軍であった。

  許昭栄さんは、その後、昭和23年(1948)米国より供与されるフリゲート艦の
引き取り回航の為に米国に派遣される。
  この任務を果たした後、許昭栄さんは、激化する国共内戦に投入される。大陸の
海港の封鎖作戦中、乗艦していた「太湖」での親友の戦死、埋葬の為に上陸した長
山南島で中共軍上陸作戦に遭遇する。からくも逃れた許昭栄さんは、台湾に生還
する。しかし、あまりの国民党軍のデタラメさに、怒り心頭に発した許昭栄さんは
脱走して高雄に潜むが捕まってしまう。 銃殺か海軍に戻るかの選択を迫られ、結
局、復軍する。
その時、乗り組を命じられたのが、前記、雪風改め「丹陽」である。

  許昭栄さんは生還したが、他の台湾兵はその後、どうなったか?
徴募された台湾兵は15000名、先ず国共内戦の錦州会戦、徐州会戦などで
1949年までに、多くが戦病死、餓死した。運良く生き延びた者は殆ど全員が中共軍
の捕虜になり、 1951年、今度は中共により朝鮮戦争に投入され、中共軍として
戦わされ、多くが戦死した。これを生き延びた台湾兵は、文化大革命の時に、旧日
本軍人、旧国民党軍人として迫害の対象となり、虐殺を免れた者は、収容所に入れ
られるか、辺鄙な地方に下放された。この時までに台湾兵は8割は非命に倒れ、大
陸各地に約3000名が生き残っていたと推定される。 (1976年頃)
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