上げたり下げたり司馬史観
投稿者: sagam_2001 投稿日時: 2004/02/08 09:27 投稿番号: [12306 / 28311]
社説1『日露戦争――「坂の上の雲」の先に』
http://www.asahi.com/paper/editorial20040208.html
>…いわく、明治維新で近代化に乗り出して間もない極東の小国が、周到な準備のもとに欧州最大の陸軍国を破った。いわく、その勝利は欧米列強の従属下にあったアジアや中東、アフリカの人々を勇気づけ、民族自立運動の活性化をもたらした。それはそれで、歴史的な事実である。こうした評価に決定的な影響を与えてきたのは、作家の司馬遼太郎氏が小説「坂の上の雲」で打ち出した見方だ。小説の中で、明治の指導者たちは英知を振り絞って国難にあたり、戦場ではフェアプレーに徹して激戦に勝利を収めた。司馬氏によれば、日露戦争はロシアの東アジア支配の動きに対する自衛戦争であり、日本の指導者が冷静な判断を失って続けたその後の戦争とはまったく異なるという。
▲『しかし、だからといって』の始まり始まりい!
>だが、歴史を未来に生かすには、そのできごとの全体を正確にとらえる必要がある。日露戦争は多面的で複雑な性格を持っていた。そうした見方が、最近の研究の成果をみても深まっている。 たとえば、日露戦争が朝鮮や満州(現中国東北部)の支配をめぐる帝国主義戦争の性格を持つことは、定着した評価となっている。戦争で朝鮮の支配権を得た日本は、併合による植民地化へと進み、中国侵略へと行き着いた。こうした対外進出路線の火種となったロシアの東アジア進出の脅威は、実際にはそれほど強くなかったとする研究がロシアにもある。
▲で、朝日はロシアの史観乗り?
>逆に、中朝国境にロシアが軍事施設を造ったという情報が、十分に確認されないまま日本の軍部から政府にあげられ、開戦論の有力な根拠となったことを示す研究が現れている。イラク戦争での大量破壊兵器の脅威を思わせるような話である。
▲大したことない軍事施設のために大量の父祖の兵士の墓標(203高地)が立った訳は?
▲えっ!「全体を正確にとらえる」事例研究はイラクまで引っ張り出してたったこれだけっ!
>戦争の大義、実像、影響などを繰り返し問い、本質に迫る努力を続けて後世を誤らないようにする。それは、いまだに戦火が絶えない21世紀に生きる我々にとっても重要なことである。
▲はいはい!『本質に迫る努力』は続けてください。やる気があるなら、南京大虐殺の『そのできごとの全体を正確にとらえる』ことに朝日が迫ることもそろそろ必要では?
今日の天声人語
http://www.asahi.com/paper/column20040208.html
>…国論は開戦に傾いていた。18歳の石川啄木は岩手日報にこう書く。「今や挙国翕然(きふぜん)として、民(たみ)百万、北天を指さして等しく戦呼を上げて居る。戦の為めの戦ではない。正義の為、文明の為、平和の為、終局の理想の為めに戦ふのである」。朝日新聞も対露強硬論を主張した。
▲今の十代とは比較にならぬ18歳の啄木。しかし、だからといって(笑、啄木の陰に隠れてはいけません。
▲朝日新聞が対露強硬論を主張した。石川啄木も対露強硬論を…。だろうに!
▲”が”と”も”の違いは当時の岩手日報と朝日新聞との違い以上ではあ〜りませんか。
http://www.asahi.com/paper/editorial20040208.html
>…いわく、明治維新で近代化に乗り出して間もない極東の小国が、周到な準備のもとに欧州最大の陸軍国を破った。いわく、その勝利は欧米列強の従属下にあったアジアや中東、アフリカの人々を勇気づけ、民族自立運動の活性化をもたらした。それはそれで、歴史的な事実である。こうした評価に決定的な影響を与えてきたのは、作家の司馬遼太郎氏が小説「坂の上の雲」で打ち出した見方だ。小説の中で、明治の指導者たちは英知を振り絞って国難にあたり、戦場ではフェアプレーに徹して激戦に勝利を収めた。司馬氏によれば、日露戦争はロシアの東アジア支配の動きに対する自衛戦争であり、日本の指導者が冷静な判断を失って続けたその後の戦争とはまったく異なるという。
▲『しかし、だからといって』の始まり始まりい!
>だが、歴史を未来に生かすには、そのできごとの全体を正確にとらえる必要がある。日露戦争は多面的で複雑な性格を持っていた。そうした見方が、最近の研究の成果をみても深まっている。 たとえば、日露戦争が朝鮮や満州(現中国東北部)の支配をめぐる帝国主義戦争の性格を持つことは、定着した評価となっている。戦争で朝鮮の支配権を得た日本は、併合による植民地化へと進み、中国侵略へと行き着いた。こうした対外進出路線の火種となったロシアの東アジア進出の脅威は、実際にはそれほど強くなかったとする研究がロシアにもある。
▲で、朝日はロシアの史観乗り?
>逆に、中朝国境にロシアが軍事施設を造ったという情報が、十分に確認されないまま日本の軍部から政府にあげられ、開戦論の有力な根拠となったことを示す研究が現れている。イラク戦争での大量破壊兵器の脅威を思わせるような話である。
▲大したことない軍事施設のために大量の父祖の兵士の墓標(203高地)が立った訳は?
▲えっ!「全体を正確にとらえる」事例研究はイラクまで引っ張り出してたったこれだけっ!
>戦争の大義、実像、影響などを繰り返し問い、本質に迫る努力を続けて後世を誤らないようにする。それは、いまだに戦火が絶えない21世紀に生きる我々にとっても重要なことである。
▲はいはい!『本質に迫る努力』は続けてください。やる気があるなら、南京大虐殺の『そのできごとの全体を正確にとらえる』ことに朝日が迫ることもそろそろ必要では?
今日の天声人語
http://www.asahi.com/paper/column20040208.html
>…国論は開戦に傾いていた。18歳の石川啄木は岩手日報にこう書く。「今や挙国翕然(きふぜん)として、民(たみ)百万、北天を指さして等しく戦呼を上げて居る。戦の為めの戦ではない。正義の為、文明の為、平和の為、終局の理想の為めに戦ふのである」。朝日新聞も対露強硬論を主張した。
▲今の十代とは比較にならぬ18歳の啄木。しかし、だからといって(笑、啄木の陰に隠れてはいけません。
▲朝日新聞が対露強硬論を主張した。石川啄木も対露強硬論を…。だろうに!
▲”が”と”も”の違いは当時の岩手日報と朝日新聞との違い以上ではあ〜りませんか。
これは メッセージ 1 (gesogeso1032 さん)への返信です.