Re: 敗戦は自招でした。
投稿者: sunshinegold04 投稿日時: 2010/09/28 03:24 投稿番号: [129 / 1092]
natunokaze001様:台湾日日新聞で見た山本元帥の国葬は厳粛であり、
悲痛な国民感情で一杯でしたね。ブーゲンビルの北端のジャングルの
中に突っ込んだ長官機の長官席が外に飛び出して遺体に弾痕の跡がありませ
でした。しばらく生きていたのでしょう。軍医が近くに寄ろうとすれども
我が身の重傷にあえなく息たえました。後任がやはり大艦主義の古賀峰一
でした。真珠湾攻撃やミッドーウエイ海戦の全艦長は水雷艇の専門の南雲
中将でありました。奇襲で夜中に魚雷攻撃をしてすぐ現場を去る戦法が
水雷艇の本髄でした。真珠湾もミッドウエイ海戦も第三次、第二次攻撃も
発動せずに現場をさりました。航空戦略の経験を持ったトップが少ない
時代でした。山本長官は山口多門とか角田覚次とかと並んで経験ありの
司令でありましたね。軍令部総長にも向いていた方でした。海軍の企画
に秀でた提督でしたね。必要な人物を早い時期に失い海軍乙事件のごとき
みっともない逃避劇で戦没したのが古賀でありました。
これは メッセージ 127 (natunokaze001 さん)への返信です.
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