Re: 那智高雄さま、お体の具合は?
投稿者: houzantakao 投稿日時: 2006/11/12 00:32 投稿番号: [8280 / 10346]
unhoo様:
九歳も上でしたか?大正11年生まれが私の兄で、十歳の違いで父の
代理をやりましたね。鳳山時代には自宅から3ブロックはなれた地域に
通称「貧民長屋」がありました。この同じ年齢の公学校の生徒が良く我家に
遊びにきました。遊ぶにも多少言葉が問題でありました。以心伝心もありました。遣ってくる時は「母が居ない時」、「おやつの時間帯」であり、腹ごしらえも目的の一つでありました。
農家の生徒は割合贅沢な生活をしていました。稲作農家はどれほど作っても
不足でかなりの所得になりました。食生活は戦時中は羨ましいものでした。
どんな豊かな国でも必ず貧困層が存在するものです。農家は中流以上の生活
をしていました。昼間に洗濯をする本島人の伯母さんも兼業農家でありました。
戦時中は炊事、洗濯とはたらきましたが、炊事の具が我家は乏しいと自分の
農家から運んできました。雇用主の我家が実際には被雇用者に援助してもらう可笑しな生活でした。そのおばあさん一家は引揚げ時、高雄港まで来て
見送ってくれました。今でも交信が二世とあります。
家庭の中の生活程度はまちまちであり、実際には内地人の大部分は中流家庭
か貧困家庭にぞくしたのです。
これは メッセージ 8279 (unhoo さん)への返信です.
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