Re: Honkytonkさま、台北市内の「和民」♪
投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2006/02/13 01:45 投稿番号: [7712 / 10346]
>5日間の帰省ではうまいものを開拓する時間もなく、友人たちと一杯やっただけ(~_~;)
そりゃそうでしょう…。
知っている場所で、じっくり語らうのが上策。それでいいんですって…。
>最近、和民が台北市内に出店したけど、日本料理の店っていう位置づけだしなあ^_^; あ、でもビール、サワーとかカクテル類など日本と同じメニューだったしそれなり飲めるんだけど。和食も日本人の板前さんが入っているのでそれなりおいしかった。
「日本料理」、なんですか。
「日本式の気楽に入れる居酒屋」として受け止められているのならいいんですけど。
メニューも結構無国籍な感じだし。
>韓国のことはぜんぜん知らないのですが、韓国の人って会社の帰りに一杯やったりするんでしょうか?
すみません! 分からないんです。
前にも申しましたとおり、ワタシ、一度も行った事が無い。
韓カテなら、その辺の通がたくさんおいでですが。
>日本ってそういうシステムというか制度作りがうまいですよね♪
アジアでも異色の存在だと思う。
中国は王朝があって制度もつくろうとしたと思うけど、戦乱が多いし一度つくったシステムも満州族とか異民族が攻めてくれば一発で崩壊だっただろうし。
うーん。中国だと、周王朝は「封建」でしたよね。
それで、諸侯(大名)が割拠して力を付け、それぞれが「王」を名乗るようになって、先細りになって最後は秦に滅ぼされた。
その後中国では、地方も国家の直轄にした「郡県制」にしたり、郡県制と封建制をミックスした「郡国制」を採用したり…。
「満州族云々」は、異民族の一例としての例証だと思いますが、ちょっと本題から離れて申し訳ないんですが、あの明王朝滅亡後の、李自成政権の崩壊の仕方です。
いや、李自成みたいな「流賊」と呼ばれているリーダーの政権が長続きするわけもないんですが、あの呉三桂が、山海関を開けて、満州族を招き入れた行為が分からんのです。
堅牢な万里の長城は戦闘で破られたのではなく、呉三桂が自ら開門して、易々と満州族を迎え入れ、李自成政権を滅ぼした事です。
これは、ベトナムの阮王朝が、王朝を樹立する時にフランスの援助を受け、それが元で後にフランスの植民地になった、というのとは明らかに違う。なぜなら、ベトナムの場合はフランスが言葉巧みに「助ける」事を申し出たのに対し、呉三桂の場合、明らかに満州族に対して、「どうぞ、中原に入ってきて、天下を取ってください。これからの支配者は、あなた達満州族です」と言ったようなもの。この辺のメンタリティが分からない。(これは、陳円円というとある女性がらみだという説も『明史』に書かれていています。)
それって、日本じゃ考えられないでしょう。(ベトナムの例は、日本で実際に起こりそうにはなりましたが。)
また、なんと言いますか、王朝が例えば異民族に滅ぼされても、例えば清は、ほぼ明の制度を踏襲するなど、中原支配にはかなり気はつかっていますね。
それで、まあ明にしろ清にしろ(特に清は)全盛期は非常に政治も優れており、国家は繁栄した。
しかし、最後は腐敗した。
で、腐敗してそのまま外国の半植民地になるか、あるいは新たな勢力が旧政権を打倒して、外国の干渉をうまくすり抜けるか…。
封建か、あるいは郡県かの違いと言いますか…ここから先は、江戸さんにお尋ねした方がいいのかな…。
取り留めがなくなり、すみませんm(__)m
そりゃそうでしょう…。
知っている場所で、じっくり語らうのが上策。それでいいんですって…。
>最近、和民が台北市内に出店したけど、日本料理の店っていう位置づけだしなあ^_^; あ、でもビール、サワーとかカクテル類など日本と同じメニューだったしそれなり飲めるんだけど。和食も日本人の板前さんが入っているのでそれなりおいしかった。
「日本料理」、なんですか。
「日本式の気楽に入れる居酒屋」として受け止められているのならいいんですけど。
メニューも結構無国籍な感じだし。
>韓国のことはぜんぜん知らないのですが、韓国の人って会社の帰りに一杯やったりするんでしょうか?
すみません! 分からないんです。
前にも申しましたとおり、ワタシ、一度も行った事が無い。
韓カテなら、その辺の通がたくさんおいでですが。
>日本ってそういうシステムというか制度作りがうまいですよね♪
アジアでも異色の存在だと思う。
中国は王朝があって制度もつくろうとしたと思うけど、戦乱が多いし一度つくったシステムも満州族とか異民族が攻めてくれば一発で崩壊だっただろうし。
うーん。中国だと、周王朝は「封建」でしたよね。
それで、諸侯(大名)が割拠して力を付け、それぞれが「王」を名乗るようになって、先細りになって最後は秦に滅ぼされた。
その後中国では、地方も国家の直轄にした「郡県制」にしたり、郡県制と封建制をミックスした「郡国制」を採用したり…。
「満州族云々」は、異民族の一例としての例証だと思いますが、ちょっと本題から離れて申し訳ないんですが、あの明王朝滅亡後の、李自成政権の崩壊の仕方です。
いや、李自成みたいな「流賊」と呼ばれているリーダーの政権が長続きするわけもないんですが、あの呉三桂が、山海関を開けて、満州族を招き入れた行為が分からんのです。
堅牢な万里の長城は戦闘で破られたのではなく、呉三桂が自ら開門して、易々と満州族を迎え入れ、李自成政権を滅ぼした事です。
これは、ベトナムの阮王朝が、王朝を樹立する時にフランスの援助を受け、それが元で後にフランスの植民地になった、というのとは明らかに違う。なぜなら、ベトナムの場合はフランスが言葉巧みに「助ける」事を申し出たのに対し、呉三桂の場合、明らかに満州族に対して、「どうぞ、中原に入ってきて、天下を取ってください。これからの支配者は、あなた達満州族です」と言ったようなもの。この辺のメンタリティが分からない。(これは、陳円円というとある女性がらみだという説も『明史』に書かれていています。)
それって、日本じゃ考えられないでしょう。(ベトナムの例は、日本で実際に起こりそうにはなりましたが。)
また、なんと言いますか、王朝が例えば異民族に滅ぼされても、例えば清は、ほぼ明の制度を踏襲するなど、中原支配にはかなり気はつかっていますね。
それで、まあ明にしろ清にしろ(特に清は)全盛期は非常に政治も優れており、国家は繁栄した。
しかし、最後は腐敗した。
で、腐敗してそのまま外国の半植民地になるか、あるいは新たな勢力が旧政権を打倒して、外国の干渉をうまくすり抜けるか…。
封建か、あるいは郡県かの違いと言いますか…ここから先は、江戸さんにお尋ねした方がいいのかな…。
取り留めがなくなり、すみませんm(__)m
これは メッセージ 7710 (cafebangchhunhong さん)への返信です.
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