Re: 台湾・台北の旧地名の場所
投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2011/04/11 08:37 投稿番号: [39 / 1484]
nagai 538Jp様:
長井さんがいた木柵地方は当時何郡内でしたか?台北市内の龍山寺までは
どのくらいの時間でいけましたか?昭和10年のうまれですと、高校を
昭和29年に卒業ですね。その頃は日本も大分経済が好転していて、私も
篠島から上京した時ですよ。夏休みに東京からまず名古屋の姉宅に転がり
込んで、小遣いもらって和歌山県の田舎にかえりました。要は貧乏学生で
ありました。南山大学は英文科の先生が外人で、学生が英語を話すのに
びっくりしました。市民病院の隣に名古屋市立大學がありまして、医学部、があるのに又びっくり、だが入学は容易ではないとききました。高校3年生の時、夏に一度実力テストを受けに名古屋にきて河合塾で受けました。桜山
から近い場所に塾があったと思うのですが。その二つ後ろの席に坐っていた
若者が私の名前を呼んだので、びっくり。私が手にこぶが出来ていて、其処を噛む癖があるのを覚えていた宮地君でした。台湾の鳳山街の官舎の隣に
住んでいた家族であったのです。又世間は狭い者だと彼の家族に会いに行ったばしょが、名古屋大学の経済学部の(昔の八高の)空き教室でありました。懐かしい再会でしたが、暗い教室で実家が無いのが悲しいものでした。台湾に長く住んだ内地人は子供が二世であり、湾生とよびました。会社の
販売をやる彼は和歌山に来る度に私の家に泊まり母の食事を食べていました。ホテル代が大変であったのですね。たまに高須で例のジェリーの甘い
(名前を忘れた)お菓子を買ってきました。それを瑞穂公園で食べたことがあります。もうその頃は砂糖も出てきて、サッカリンの時期も過ぎて、名古屋人が食べないが、連れて行った米人仲間は(1966年頃)、美味しいと
喜んでいました。昭和34年2月立川空港から32時間掛けてグアムとハワイとで給油しつつサンフランの近くの空軍基地につきました。当時グアムに
日本製キャメラがおいていました。フルブライト奨学資金を取れないので、全額スポンサーを論文発表で探しだしました。俺の航空機に乗って来いと言うスポンサーがあてがったのはフライング・タイガーと言う人と貨物半々の
輸送機でした。超優遇で無料で運び、軍人が二人で立川に同行してくれて、
昼食を食べたが、まるで世界が違う食物を始めてたべました。全て量が多くて、随分無駄が多いと嘆いてみたが、習慣とは怖いもので余るとどんどん捨てていました。
台湾はどんな方向にゆくのでしょうかね?又許信良氏が立候補しました。彼は二番目の馬英九氏だと思うのですが?
長井さんがいた木柵地方は当時何郡内でしたか?台北市内の龍山寺までは
どのくらいの時間でいけましたか?昭和10年のうまれですと、高校を
昭和29年に卒業ですね。その頃は日本も大分経済が好転していて、私も
篠島から上京した時ですよ。夏休みに東京からまず名古屋の姉宅に転がり
込んで、小遣いもらって和歌山県の田舎にかえりました。要は貧乏学生で
ありました。南山大学は英文科の先生が外人で、学生が英語を話すのに
びっくりしました。市民病院の隣に名古屋市立大學がありまして、医学部、があるのに又びっくり、だが入学は容易ではないとききました。高校3年生の時、夏に一度実力テストを受けに名古屋にきて河合塾で受けました。桜山
から近い場所に塾があったと思うのですが。その二つ後ろの席に坐っていた
若者が私の名前を呼んだので、びっくり。私が手にこぶが出来ていて、其処を噛む癖があるのを覚えていた宮地君でした。台湾の鳳山街の官舎の隣に
住んでいた家族であったのです。又世間は狭い者だと彼の家族に会いに行ったばしょが、名古屋大学の経済学部の(昔の八高の)空き教室でありました。懐かしい再会でしたが、暗い教室で実家が無いのが悲しいものでした。台湾に長く住んだ内地人は子供が二世であり、湾生とよびました。会社の
販売をやる彼は和歌山に来る度に私の家に泊まり母の食事を食べていました。ホテル代が大変であったのですね。たまに高須で例のジェリーの甘い
(名前を忘れた)お菓子を買ってきました。それを瑞穂公園で食べたことがあります。もうその頃は砂糖も出てきて、サッカリンの時期も過ぎて、名古屋人が食べないが、連れて行った米人仲間は(1966年頃)、美味しいと
喜んでいました。昭和34年2月立川空港から32時間掛けてグアムとハワイとで給油しつつサンフランの近くの空軍基地につきました。当時グアムに
日本製キャメラがおいていました。フルブライト奨学資金を取れないので、全額スポンサーを論文発表で探しだしました。俺の航空機に乗って来いと言うスポンサーがあてがったのはフライング・タイガーと言う人と貨物半々の
輸送機でした。超優遇で無料で運び、軍人が二人で立川に同行してくれて、
昼食を食べたが、まるで世界が違う食物を始めてたべました。全て量が多くて、随分無駄が多いと嘆いてみたが、習慣とは怖いもので余るとどんどん捨てていました。
台湾はどんな方向にゆくのでしょうかね?又許信良氏が立候補しました。彼は二番目の馬英九氏だと思うのですが?
これは メッセージ 37 (nagai538jp さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835412/bfoqa1a6bfkla4n5lcolbea4nbelbdj_1/39.html