Re: 台湾・台北の旧地名の場所
投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2011/04/04 13:46 投稿番号: [24 / 1484]
nagai538jp様:
東京から名古屋に移住して住んでいるとのことですね。両親が和歌山の
南部に近い本籍ですが、ここに全国に一杯いる「鈴木姓」の元祖の
家が残っています。兄弟4人は全部名古屋生まれで、兄が小牧で姉が春日
井市で、次女とわたしが御器所生まれで、その後長池町にうつり、昭和区の
松栄尋常高等小学1年途中で父の愛知県庁から高雄州庁へ転勤で神戸から
基隆にむかいました。鳳山街縣口77番地から昭和19年台湾沖航空戦直後
(10月20−23日に米国機動部隊が台湾を急襲した)高雄州庁に父が転任したので、前金(官舎)に移転しました。昭和20年4月に高雄第一中学
に入り、勤労学徒(鳳山街にあった第77部隊兵舎)と疎開をくりかえしました。今の前金区の2番街が(七賢二路と自強路の角の官舎)停電で住んだ巣屈になり、防空壕でさえ長くは居れない焼夷弾の追い出しでお尻に火が付いた格好で逃げ回っていました。台南州の玉井村に疎開して平和な果樹の多い村でしたが、精糖工場が焼けた時は連日連夜燃えていましたね。南部には
たまに出たときがありましたか?兄は名古屋高商から台北高商に変わり、学徒動員でお決まりの如く徴兵となり幹部候補生として昭和19年冬基隆から
出港、内地への途上で敵潜水艦に追われて遅れて到着したら硫黄島行きの部隊は既に出港で本土防衛に回されてたすかりました。名古屋は五中を終えて
います(熱田神宮の近くの)。1959年渡米できたのですが、1964年
CA.大學の農学部に僅かだが、台湾からの留学生がきていまして、多くが日本語をはなしたので、台湾の情報が得られました。いっとき教室の出席生徒が5人だけで、その中の4人が台湾からの留学生であったので、日本語で
植物病理を話して大笑いしたことがありました(笑い)。
これは メッセージ 21 (nagai538jp さん)への返信です.
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