Re: 台湾・台北の旧地名の場所
投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2011/06/27 02:20 投稿番号: [213 / 1484]
nagai 538jp様:
1900年初期のころの吉安郷地帯は雑草がおいしげる未開発地帯でありました。そこで総統府は安い地価で買い上げたのです。あまり田畑に適さない
未開拓地であったそうです。この土地を受けた四国からの農民が精魂掛けて
開拓に励み今の緑いっぱいの田畑に整地したのです。列車で吉安郷の駅まで行くと王子の吉野村が遠くなります。ひとつ手前で降りるそうです。往時は
雑貨店、食料品店、風呂や、郵便局、映画館、警察署、慰安施設、、小学校、などが中か内にあったそうです。中高齢で入植した夫婦の間の子供たちが成長して結婚代わりと早かったそうだ。台湾式になったのですね。大正末期の、昭和初めの三世がでてきました。彼らは、内地を知らないし、日本語はかなりの市国の方言まるだしで周囲の公学校の本島人と遊び、たいわんごに接する機会が多かったのでしょう。内地とは見たことがない、すんだことがない、接したことがない異国の文化、習慣、となりつつありました。
徴兵をのぞいては台湾の他の地域の内地人との付き合いはかなり臆するのか
あまりしゃべりませんでした。農業村から出てゆく家族は少なくて、たまにありましたが、2−3世諸君は農業ビジネス(agri-business)に進出した青年がおおくなったそうです。吉野米の販売は当時の米相場の鍵になったそうです。池田弁当の池田米はおそらくここの吉野米が主体であったのではないですか?その後蓬莱米がはやり、この種は1970年ころまで栽培種の主役
でありました。
これは メッセージ 212 (heitotakaohonors さん)への返信です.
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