Re: 台湾・台北の旧地名の場所、 大正町
投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2011/03/29 09:18 投稿番号: [12 / 1484]
unhooさま:
やはり台北は住んだことがないので、わからないが、鳳山国民学校の
同級生が戦後台北に移転したので案内をしてくれたもの。中山と森林の
間には日本情緒の店がおおく、日本料理屋、セブン・イレブン、ラーメン
屋(どさんこ)、吉野家が並んでいましたね。台北駅手前の(東側)駅名が大正町駅であったのですか。神戸から到着した基隆港からすぐ台北に来て一泊したのが旅館で畳敷き
の部屋でありました。恐らくのこ辺の日本人町であったのでしょう。
孫文が東京で気に入った料亭から拾った中山料理亭の中山が台湾にも広がったのは知らぬが仏で人気ある名前ですかね?森林を敗残の責任を誤魔化す
為に蒋介石は代理人として立てるのがうまかった。その後彼は復活して総統に返り咲きました。
さてここで一心と言う日本料理店で日本食を食べたが余り美味しくなかった。味は格差が激しいと感じた次第ですわ。地図が簡単には買えないというのは戦争末期のことですね。父が土木技師であったので、鳳山郡、高雄州、高雄市内の地図は父のかばんを開けるといつも入っていました。小学生の頃は少年読み物の付録に地図(大まかだが)が付いていることがありましたね(昭和15−17年頃)。学生一人で寿山をぶらぶらとはあるけなかった。何処でも高いところに揚がるときは団体であり、良く先生が引率して素通りでしたね。従って、高雄港とか高雄空港とか寿山の頂上とかを見た事が無いという住人となりました。昭和8年生まれ以後の学生は高雄市を知らない(高い場所から眺めたことが無い)で終戦で日本に引き揚げたのですからね、哀れでした。
これは メッセージ 7 (unhoo さん)への返信です.
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