Re: heitotakaohonor 様 こんにちは!
投稿者: heitotakaohonor 投稿日時: 2009/10/14 05:23 投稿番号: [225 / 1869]
tanpopotanntantan様:
両親が台湾育ちで祖母様が湾生ですか。湾生の2世は大体内地の本籍地
登記した戸籍抄本がありましたが、三世になると多くは台湾の市街地の
戸籍登録所に登録してあるだけで、日本に引き揚げても、戸籍が無くて
帰国した時点で登録しました。私は生まれた名古屋市に登録してあり、
本籍地になかったので、作りましたが、母の言いつけで生年月日を変えて
しまいました。要するに公文書を持参しない海外引き揚げ者でありました。
日本が台湾を割譲したのが1895年です。そして台湾語を日常の言葉で
本島人は読み、話し、聞いていた現状が1940年頃までつずきました。
新聞でも1−2ページは漢語の活字で便宜をはかりました。井戸端会議の
夫人連中の大声の台湾語の会話は1−2ブロックは聞こえたものです。喧嘩
しているのかと裏庭の戸を一寸開けて覗くと、和気あいあいに会話であり
ました。戦争に入り漢語のメデアはとうとう消えて行きました。1945年
終戦となり、疎開から戻った中学生の私達は、既に街で、学校で日本語は使用
、を禁止された雰囲気であり、毎日国歌吹奏、国旗掲揚の後、北京語ばかり
教えてきました。全然言葉の余裕を貰えずに、劣等感にさい悩みました。
日本は45年間も漢文を維持、支持してきたのです。日本語を話すことは、
当時の本島人のエリートの象徴でありました。日本語を学習しない惰性組も
いましたが、大体の本島人は多少の差はあったが、公学校義務教育で習い
ましたね。
これは メッセージ 223 (tanpopotanntantan さん)への返信です.
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