【愛国】南の島に雪が降る2
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/10/08 00:28 投稿番号: [633 / 735]
【愛国】南の島に雪が降る2 2011/10/ 6 16:37 [ No.118723
加東大介さん(本名、加藤徳之助さん)は、昭和18年10月8日、
大阪道頓堀中座の楽屋で、軍隊に招集されます。
向かった先が、西部ニューギニアのマノクワリというところです。
ニューギニア戦線は、東部で激戦が展開されたところです。
けれど加東さんたちが赴任した西部側は、それほどひどい被害は受けず、
加東さんたちが到着した頃には、すでに戦域はフィリピンに移っていました。
なので西部ニューギニアでは、大規模な戦闘はほとんどない、
という状況だったのだそうです。
けれど、取り残された前線とはいえ、いつ敵が襲ってくるかわからない。
補給もほとんどなく、飢えとマラリアに苦しめられながら、
敵と戦う日を待つという日々です。
そこは戦地であり、兵隊さんたちは、常に戦闘による死、
マラリアによる死の両方と向かい合っている。
そんな状況の中で、西部ニューギニアの司令部は、すこしでも兵隊さん
たちを勇気づけようと、俳優である加東さんに「劇団」作りを命じた。
加東さんは、島中から劇団員を募集し、こうして誕生した劇団が、
マノクワリ演劇分隊だったわけです。
マノクワリ演劇分隊は、熱帯のジャングルのド真ん中に日本式の舞台を
作り、三味線弾き、ムーラン・ルージュの脚本家、スペイン舞踊の教師、
舞台美術・衣装担当の友禅職人など、個性的なメンバーと一緒に公演をします。
衣装は、ありあわせの布に絵を描いたもの。
カツラは、ロープ(縄)で作った。
女形は「おしろい」を塗るけれど、男ばかりの軍隊に、そんなものはありません。
そこで傷口用の軟膏を顔に塗りたくって白粉の代わりにした。
こうして加東さん率いるマノクワリ演劇分隊は、日本への帰還の日まで、
兵隊さんたちの慰安のために、ほぼ連日、休演なしで演劇を続けます。
厳しい軍隊生活、いつ死ぬともわからない運命、マラリアに苦しめられ、
飢えに苦しめられる毎日の中で、兵隊さんたちは「公演を見たい」
という生きがいを得ます。
公演には、島のはるかな地から演劇場までやってくる兵隊さんたちもいたそうです。
そして見終わると、次の演目を楽しみにし、
「次はこのなかで誰が来れるだろうね」
「まあ、お前はモタんだろうな」
「いやあ、お前が先さ」
などとニコニコと言いあいながら帰って行った。
途中、加東さんは内地送還のチャンスを得ます。
けれど加東さんは、「これだけの観客を見捨てていけるか」と自分から、
日本に帰れるチャンスを捨て、演劇を続けている。
そんな中で、長谷川伸原作の名作「瞼の母」の舞台のときには、
紙を使って雪を降らせた。
南の島の熱帯のジャングルの中で、雪を降らせたわけです。
この雪は、観客に大好評で、紙でできた雪が舞う都度、
客席から毎回、どよめきと歓喜の声があがった。
加東さんたちは、サービスのため、観客たちに雪景色を充分堪能して
もらってから舞台に登場するようにしていたのだそうです。
ところがある日、同じ演目の公演で、いつもと同じように雪を降らせた
のだけれど、いくら待っても客席がシーンとしている。
不審に思って加東さんたちが舞台の袖から客席をのぞいてみると、
数百名いた兵隊が皆、涙を流していたのです。
聞いてみた。
すると彼らは、東北の部隊の兵隊さんたちだった・・
つづく
加東大介さん(本名、加藤徳之助さん)は、昭和18年10月8日、
大阪道頓堀中座の楽屋で、軍隊に招集されます。
向かった先が、西部ニューギニアのマノクワリというところです。
ニューギニア戦線は、東部で激戦が展開されたところです。
けれど加東さんたちが赴任した西部側は、それほどひどい被害は受けず、
加東さんたちが到着した頃には、すでに戦域はフィリピンに移っていました。
なので西部ニューギニアでは、大規模な戦闘はほとんどない、
という状況だったのだそうです。
けれど、取り残された前線とはいえ、いつ敵が襲ってくるかわからない。
補給もほとんどなく、飢えとマラリアに苦しめられながら、
敵と戦う日を待つという日々です。
そこは戦地であり、兵隊さんたちは、常に戦闘による死、
マラリアによる死の両方と向かい合っている。
そんな状況の中で、西部ニューギニアの司令部は、すこしでも兵隊さん
たちを勇気づけようと、俳優である加東さんに「劇団」作りを命じた。
加東さんは、島中から劇団員を募集し、こうして誕生した劇団が、
マノクワリ演劇分隊だったわけです。
マノクワリ演劇分隊は、熱帯のジャングルのド真ん中に日本式の舞台を
作り、三味線弾き、ムーラン・ルージュの脚本家、スペイン舞踊の教師、
舞台美術・衣装担当の友禅職人など、個性的なメンバーと一緒に公演をします。
衣装は、ありあわせの布に絵を描いたもの。
カツラは、ロープ(縄)で作った。
女形は「おしろい」を塗るけれど、男ばかりの軍隊に、そんなものはありません。
そこで傷口用の軟膏を顔に塗りたくって白粉の代わりにした。
こうして加東さん率いるマノクワリ演劇分隊は、日本への帰還の日まで、
兵隊さんたちの慰安のために、ほぼ連日、休演なしで演劇を続けます。
厳しい軍隊生活、いつ死ぬともわからない運命、マラリアに苦しめられ、
飢えに苦しめられる毎日の中で、兵隊さんたちは「公演を見たい」
という生きがいを得ます。
公演には、島のはるかな地から演劇場までやってくる兵隊さんたちもいたそうです。
そして見終わると、次の演目を楽しみにし、
「次はこのなかで誰が来れるだろうね」
「まあ、お前はモタんだろうな」
「いやあ、お前が先さ」
などとニコニコと言いあいながら帰って行った。
途中、加東さんは内地送還のチャンスを得ます。
けれど加東さんは、「これだけの観客を見捨てていけるか」と自分から、
日本に帰れるチャンスを捨て、演劇を続けている。
そんな中で、長谷川伸原作の名作「瞼の母」の舞台のときには、
紙を使って雪を降らせた。
南の島の熱帯のジャングルの中で、雪を降らせたわけです。
この雪は、観客に大好評で、紙でできた雪が舞う都度、
客席から毎回、どよめきと歓喜の声があがった。
加東さんたちは、サービスのため、観客たちに雪景色を充分堪能して
もらってから舞台に登場するようにしていたのだそうです。
ところがある日、同じ演目の公演で、いつもと同じように雪を降らせた
のだけれど、いくら待っても客席がシーンとしている。
不審に思って加東さんたちが舞台の袖から客席をのぞいてみると、
数百名いた兵隊が皆、涙を流していたのです。
聞いてみた。
すると彼らは、東北の部隊の兵隊さんたちだった・・
つづく
これは メッセージ 632 (ajisai110701 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835412/bbgmdb2vdbffcbeh_1/633.html