Re: 「母国は日本祖国は台湾:柯徳三著」
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/10/04 20:35 投稿番号: [619 / 735]
第四章
軍医となって
日米開戦
日本は、昭和十二(一九三七)年、盧溝橋事件に端を発する
支那事変から、急速に戦争へと突入していきました。
戦争という時代でしたから、社会にも、人々の心にも歪みが生じていました。
台湾人の私にとっては、締め付けと差別の苦しい時代でしたが、
それは日本国内でも同様でした。
読者の皆さんにとっては、耳の痛い話もあるでしょうし、あまり愉快な話では
ないでしょうが、この時代の私の体験を、ありのままに綴りたいと思います。
支那事変が起きたのは、中学の時ですから、よく覚えています。
「支那事変勃発」と聞き、ああそうか、と思った程度でした。
同年十二月、南京陥落の時は、提灯行列に行きました。
街中が勝利に湧いていました、私も、日本が勝ったのは喜ばしいことだと
思っていました。
この頃は、まだ、戦争という実感はありませんでした。
遠いところでの出来事でしたし、ピンとは来なかったのです。
私が大学に入った年、昭和十六(一九四一)年の十二月に、
大東亜戦争が始まりました。
戦争がいよいよ始まったとのニュースは、学校で聞いたり新聞を見たりして
知りました。
皆、真珠湾の戦果だとか言って喜んでいましたから、
ああ、そうかそうかと思っていました。
それまで、日本は経済封鎖などで、かなり締め上げられていて、
物も不足していましたから、
やった! これから楽になるという気持ちもありました。
一番嬉しかったのは、シンガポールが陥落した時です。
開戦直後の昭和十七(一九四二)年二月のことでした。
日本軍は、ハワイ攻撃と共にこのマレー作戦を重視し、
ハワイ、マレー、フィリピン、香港、グアムへの先制攻撃をもって
大東亜戦争を開始したのです。
英国の極東根拠地だったシンガポールが陥落した時、小学生は、
皆ゴムまりを一つ配給されました。
あそこはゴムの産地だということで、
テニスボールの柔らかいものが一つずつ配られたのです。
軍部は、そういう宣伝もやりました。皆、大喜びでした。
あの時、ゴムはありませんでしたから、運動靴もゴム底がないのです。
シンガポールが陥落したら、ゴムが沢山入って良いことだ、と思っていました。
その頃は、物もそろそろなくなりかけている頃でしたから。
しかし、一方では、台湾人に対する皇民化運動はますます厳しくなり、
成年した私は思想的にも内心を表現することが出来ず、
思い悩むこともしばしばでした。
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日米開戦
日本は、昭和十二(一九三七)年、盧溝橋事件に端を発する
支那事変から、急速に戦争へと突入していきました。
戦争という時代でしたから、社会にも、人々の心にも歪みが生じていました。
台湾人の私にとっては、締め付けと差別の苦しい時代でしたが、
それは日本国内でも同様でした。
読者の皆さんにとっては、耳の痛い話もあるでしょうし、あまり愉快な話では
ないでしょうが、この時代の私の体験を、ありのままに綴りたいと思います。
支那事変が起きたのは、中学の時ですから、よく覚えています。
「支那事変勃発」と聞き、ああそうか、と思った程度でした。
同年十二月、南京陥落の時は、提灯行列に行きました。
街中が勝利に湧いていました、私も、日本が勝ったのは喜ばしいことだと
思っていました。
この頃は、まだ、戦争という実感はありませんでした。
遠いところでの出来事でしたし、ピンとは来なかったのです。
私が大学に入った年、昭和十六(一九四一)年の十二月に、
大東亜戦争が始まりました。
戦争がいよいよ始まったとのニュースは、学校で聞いたり新聞を見たりして
知りました。
皆、真珠湾の戦果だとか言って喜んでいましたから、
ああ、そうかそうかと思っていました。
それまで、日本は経済封鎖などで、かなり締め上げられていて、
物も不足していましたから、
やった! これから楽になるという気持ちもありました。
一番嬉しかったのは、シンガポールが陥落した時です。
開戦直後の昭和十七(一九四二)年二月のことでした。
日本軍は、ハワイ攻撃と共にこのマレー作戦を重視し、
ハワイ、マレー、フィリピン、香港、グアムへの先制攻撃をもって
大東亜戦争を開始したのです。
英国の極東根拠地だったシンガポールが陥落した時、小学生は、
皆ゴムまりを一つ配給されました。
あそこはゴムの産地だということで、
テニスボールの柔らかいものが一つずつ配られたのです。
軍部は、そういう宣伝もやりました。皆、大喜びでした。
あの時、ゴムはありませんでしたから、運動靴もゴム底がないのです。
シンガポールが陥落したら、ゴムが沢山入って良いことだ、と思っていました。
その頃は、物もそろそろなくなりかけている頃でしたから。
しかし、一方では、台湾人に対する皇民化運動はますます厳しくなり、
成年した私は思想的にも内心を表現することが出来ず、
思い悩むこともしばしばでした。
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これは メッセージ 618 (ajisai110701 さん)への返信です.
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