紫陽花亭日乗

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Re: 「母国は日本祖国は台湾:柯徳三著」

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/10/03 21:49 投稿番号: [617 / 735]
島田謹二先生の型破りな授業

  台北高等学校での三年間は、辛いマイナスの面もありましたが、プラスの
面もありました。教師の中で台湾人に対して差別をしない立派な方もありました。

  ドイツ語の中村為吉先生は特にそうでした。
クラスに「沈」という生徒がいて、「チン」と呼ばれていましたが、
先生は、正しい発音は「シン」だと主張して、
台湾人としての誇りを持ちなさい、と言いました。

  高等学校時代においても、大変に幸運なことに、
恩師といえる先生との出会いがありました。
それは高等学校三年生の時の英語の教師、島田謹二先生です。

  島田先生は、教科書として英文の小説を採用して、
原文をそのまま私達に読ませました。
先生は比較文学の大家で、講義も一般の教授とは異なった方式をとっていました。

例えば、サマーセット・モームの "The pavilion on the links" という
小説の一句に、"An assistant arrived in the afternoon." というものが
ありますが、これなどは「a」を並べて、ストーリーの暗黒さを暗示して
いると教えてくれました。
こんなことは言われなければ気づかず、文章を味わうことなど出来ません。

  英文の現代小説を原文で読み、その意味を理解していくのは大変でした。
しかし一年間で、どうにか全体のストーリーを読み終え、
学期末の試験に備えて必死で単語や文章の和訳を暗記しました。

  ところが試験当日、先生が出題された問題を見て、皆びっくりしました。
それは、「この小説を読んで何を感じたかを日本文で書け」という問題でした。
単語や文章の暗記など全く無駄なことだったのです。
しかも、英語の授業なのに答えは日本語で書くのです。

  私は何とか頭の中に残っているストーリーと、
吟味すべき所々の名文について、自分なりの論説を答案用紙一枚に書き、
及第点を得ました。
先生は諸外国の言葉に精通され、中でも英国、イタリア、ロシア、
フランス等の作家を多く比較研究されていたようでした。

  「しまきん」というあだ名も、今では大変懐かしく、親しみとして残っています。

昭和十六(一九四一)年頃は、私達の高校生活も戦時色を帯びて、
息苦しくなっていました。
自由思想のかけらさえも残っていなかったこの時代に、このような
素晴らしい啓蒙的な講義をなさっていた先生は、私の青年時代の良き思い出
となって、老境に入った今の私にとっても忘れ難いものです。

内台間の差別や、異なる民族間の違和感等のあったあの時代に、
先生はそのような感情は一切なく、私達台湾人も一様に生徒として
同じく薫陶を受けました。

英語の先生でしたが、ご自分に備わっている教養、議論のやり方と
いったことまで、いつの間にか教えて下さっていました。

  日本人である島田先生から、文学についての知識を学び、
その深い造詣に触れ、私の読書の習慣は養われました。
文学、哲学、芸術等あらゆる分野の書を乱読し、
友達と激論を交わしたのも高校時代でした。

武者小路実篤、森鴎外など、日本の小説や随筆も多く読み、
近松門左衛門に没頭したこともあります。
中国の本では、林語堂というエッセイストの本などをずいぶんと読みました。

  島田先生は、青年だった私達に読書の意欲を注ぎ込んでくれたのです。
これは、高等学校で一番の収穫だったと思っています。
読書は人生を豊かにしてくれました。

  青年時代に培われた日本語による高等教育は、私の一生を決定し、
今日の成就をもたらしました。

この島田先生は、私の最も尊敬する恩師の一人です。
残念ながら、もう亡くなってしまいましたが、当時は、
そういうずば抜けた人間的に尊敬できる先生がいたのです。

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