北京語の生い立ち
投稿者: unhoo 投稿日時: 2012/03/31 13:52 投稿番号: [2676 / 3149]
満州族が北京宮殿の主人になり、清朝という王朝を建設した。満州族はそれ
以前に支那に王朝を建てた遼、金、元等の異族とちがって、支那の西や南に
も別の文化があることを知らなかったから、文化と言えば漢族の文化のこと
だった。北京宮殿の皇族たちは、文化人になるために支那語、支那文化を一
生懸命習った。
ところが北京宮殿に仕えた漢族の廷臣たちは、自分の命が大切だから、皇族
たちの間違った文法や発音を訂正する勇気がなかった。かえって皇族たちの
間違った文法や発音を模倣した。かくて北京宮殿内に、今まで存在しなかっ
た一種の言語が発生し、宮殿内の通用語になった。それが北京語である。
北京の官庁の役人は、宮廷に参内して報告したり、命令を承ったりするの
に、北京語を使わないわけには行かなかった。その結果北京官庁の通用語も
北京語になった。
すると北京に住む人民は北京語を理解しなければ官庁に行って用を足すこと
ができない。かつ、北京語は官庁の用語だから、人民の用語より高級な言語
であろうと考えて、北京語を使いたがるようになり、200年あまりの清朝統治
の末、北京市民は皆北京語を常用語とするようになった。
北支地方に古来から北京語が存在していたのではない。清朝の宮殿が今から
300年あまり前に成立するまでは、地上に北京語が存在しなかった。
日本の台湾統治が50年で、台湾のどこでも日本語が通用するようになってい
たことを思えば、200年の清朝統治で北京市民がすっかり北京語を常用語にす
るようになったのは当然と言える。
満州族はカ行の発音ができないので、元来がカ行で読まれていた漢字が北京
語では全部チャ、チ、チュ、チョで読まれるようになっている。だから北京
がペーチン、南京がナンチンになった。
明代に支那に来たイエズス会士は、祖国への報告書にPeking、Nankingと書い
ている。すなわち明代では京の字はまだカ行で読まれていた。
ガ行の発音に至っては、満州人は逆立ちしてもできない。だから古来ガ行で
読まれていた字は北京語では全部ガ行の部分が消失した。例えば元はゲンで
なくエンになり、義はギでなくてイになった。台湾中部の都市嘉義は日本語
でも、台湾語でもカギと読むが、北京語ではチャーイーというとんでもない
発音になる。
北京語の文法では「私の父」は「我的父」だが、古来の中国語では「我父」
であって、絶対に「我之父」とはならない。ところが「我父」は北京語では
何のことか意味がわからない。
こんな奇妙な言語が北京宮殿に生まれた責任は、漢族の廷臣の臆病さにあ
る。清朝宮殿では廷臣は皇族の前では自分のことを奴才と自称する。北京語
は奴才の無責任によって産生されたのだから、奴才語と罵倒してよいだろ
う。
上記のことをわしは人に話したり、掲示板の投稿したりして、反論を待っ
た。しかし一度も反論が出なかった。拍手して賛成してくれた人ならあっ
た。
以前に支那に王朝を建てた遼、金、元等の異族とちがって、支那の西や南に
も別の文化があることを知らなかったから、文化と言えば漢族の文化のこと
だった。北京宮殿の皇族たちは、文化人になるために支那語、支那文化を一
生懸命習った。
ところが北京宮殿に仕えた漢族の廷臣たちは、自分の命が大切だから、皇族
たちの間違った文法や発音を訂正する勇気がなかった。かえって皇族たちの
間違った文法や発音を模倣した。かくて北京宮殿内に、今まで存在しなかっ
た一種の言語が発生し、宮殿内の通用語になった。それが北京語である。
北京の官庁の役人は、宮廷に参内して報告したり、命令を承ったりするの
に、北京語を使わないわけには行かなかった。その結果北京官庁の通用語も
北京語になった。
すると北京に住む人民は北京語を理解しなければ官庁に行って用を足すこと
ができない。かつ、北京語は官庁の用語だから、人民の用語より高級な言語
であろうと考えて、北京語を使いたがるようになり、200年あまりの清朝統治
の末、北京市民は皆北京語を常用語とするようになった。
北支地方に古来から北京語が存在していたのではない。清朝の宮殿が今から
300年あまり前に成立するまでは、地上に北京語が存在しなかった。
日本の台湾統治が50年で、台湾のどこでも日本語が通用するようになってい
たことを思えば、200年の清朝統治で北京市民がすっかり北京語を常用語にす
るようになったのは当然と言える。
満州族はカ行の発音ができないので、元来がカ行で読まれていた漢字が北京
語では全部チャ、チ、チュ、チョで読まれるようになっている。だから北京
がペーチン、南京がナンチンになった。
明代に支那に来たイエズス会士は、祖国への報告書にPeking、Nankingと書い
ている。すなわち明代では京の字はまだカ行で読まれていた。
ガ行の発音に至っては、満州人は逆立ちしてもできない。だから古来ガ行で
読まれていた字は北京語では全部ガ行の部分が消失した。例えば元はゲンで
なくエンになり、義はギでなくてイになった。台湾中部の都市嘉義は日本語
でも、台湾語でもカギと読むが、北京語ではチャーイーというとんでもない
発音になる。
北京語の文法では「私の父」は「我的父」だが、古来の中国語では「我父」
であって、絶対に「我之父」とはならない。ところが「我父」は北京語では
何のことか意味がわからない。
こんな奇妙な言語が北京宮殿に生まれた責任は、漢族の廷臣の臆病さにあ
る。清朝宮殿では廷臣は皇族の前では自分のことを奴才と自称する。北京語
は奴才の無責任によって産生されたのだから、奴才語と罵倒してよいだろ
う。
上記のことをわしは人に話したり、掲示板の投稿したりして、反論を待っ
た。しかし一度も反論が出なかった。拍手して賛成してくれた人ならあっ
た。
これは メッセージ 2675 (tok*o*cach*to3 さん)への返信です.
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