ビックリ台湾!?

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圓環夜市

投稿者: unhoo 投稿日時: 2009/11/15 18:06 投稿番号: [2028 / 3149]
重慶北路にあった屋台食堂の集合した円形地域は、現総統馬英九が台北市長だった時期に、屋台店では見苦しいと言って追っ払って四階建ての円環形ビルを建てた。そしてテナントを募集して、店舗を経営させる計画だったが、応募者がなく、がら空きのビルになっている。未来永久にテナントが来る見込みはなく、馬英九の頭さの表示物になった。

日本時代の都市計画で、当時の日本人市長がその場所に直径35メートルの小さい丸い公園を作って、そこから6、7本の道路を放射線状に建設する計画をしたのだが、民情に合わず、貧乏人が集まってきて物売りを始め、やがて屋台店を設けた。その屋台店たちの商売の種類がしだいに簡易食堂に統一され、早く来た奴が後から来た奴から権利金を取って場所を譲るようになった。

35メートルの円形公園(日本時代の呼び名は丸公園)の土地は台北市の公有地なのだが、市役所が屋台を設けた奴を早期に追っ払わなかったから、土地の占有権が生まれた。市役所が追っ払おうとしたときには、屋台店の主人は「おれは大金を払って、前の屋台店経営者から権利を買ったのだ」と抗議する。日本統治時代に市役所の怠慢で、物売りを追っ払わなかったのが失敗の始まりである。

日米戦争の最中には屋台店経営者はみな空襲を恐れて疎開し、丸公園は空き地になった。戦後に来た蒋介石政権は日本統治時代の役所と同じ失敗をした。戦争が終わって、空襲のおそれがなくなると、あらたな物売りが集まってきたのを取り締まらないで傍観したのである。ついに物売りが屋台を設け、戦前と同じようにみな簡易食堂になった。戦前と同じように土地の占有権が生まれた。

戦後20年か30年たって円環夜市の最盛期に、台湾観光に来た日本人のうちに、俳句の作家があって、「月煙らし円環夜市火と油」と一句詠んだ。その俳人の名は堀喬人。

馬英九が屋台店の経営者を追っ払うにあたっては、立退き料を与えたのか、それともこれから建てる円環形ビルのテナント権を与えると約束をしたのか、どちらだかわしは知らぬ。ただ出来上がった円環形ビルを見ると、誰もあのビルの中で商売しようという気を起こさない。往年の夜市のような商売はどうしても屋台でなくちゃだめで、ビルじゃ情緒がうまれないのである。
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