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1936年のベルリンオリンピック

投稿者: unhoo 投稿日時: 2009/10/04 01:53 投稿番号: [1985 / 3149]
>オリンピックが狭隘な民族主義と国威宣揚の絶好の道具としてヒトラーのナチスドイツに利用されて以来、その反省も改革もないまま続けられている。<

tokyo_cachito3さん

あなたは戦後生まれで、1936年のベルリンオリンピック当時のニュース映画を見ていないし(テレビはまだなかった)、日本で1940年ごろに公開された記録映画『民族の祭典』も見たことがないと思われます。『民族の祭典』は映画監督リーフェン・シュタール女史の指揮によって撮影、編集され、ドイツやその他の欧米諸国では多分1937年以前に公開されたと思いますが、日本では映画輸入業者の利権争いのために、1940年になってやっと上映されました。

『民族の祭典』では、公平に各国選手の活躍が記録されています。そのオリンピックでは、ナチスの宣伝が全然行われていないことがわかります。ヒットラーは出場しますが、それは開催国の元首として開会の宣言をするためです。その前、各国選手が次々に入場し、ヒットラーの席の前を通るとき脱帽あるいはその他の動作で開催国の元首に敬意を表すると、ヒットラーはナチス式の挙手礼を返しますが、それがその当時のドイツ国のマナーだからであって、ナチスの宣伝だと言う者はなかった。その後の場合ではヒットラーは見物人の一人として写されています。ドイツの選手が勝つとヒットラーは当然大喜びだったであろうが、記録映画にはその場面があまり写っていなかった。

10000メートル競走で日本の村社講平が長身のフィンランド選手3人に囲まれて奮戦する場面では、ヒットラ−は膝の上で指をもじもじさせていた。それを当時の日本人はヒットラーが村社選手をひいきにしている心の現れだと言って喜んでいました。わしの眼にもそのように見えました。村社選手は奮闘の甲斐なく、ラストスパートで体力負けして、1位から3位までフィンランド、村社は4位でした。

下記はわしが以前に別トピに投稿した文章です。

1936年のオリンピック以前には、聖火リレーというものはなかった。聖火リレーは、当時ドイツの総統になって2年たったばかりのヒットラーの創意である。ベルリンオリンピックはヒットラーの前任政権が招致し、ヒットラーが引き受けて大成功させたもので、あれほど美しく、崇高な五輪大会は、空前絶後である。

ギリシャのなんとか神殿(わしは固有名詞の記憶が苦手)の前でギリシャ乙女によって太陽光から火を取る。聖火を恭しく迎えるというのがヒットラーの考えで、バルカン半島を通って最短経路でベルリンの五輪会場へ伝逓された。現在のような見世物的なリレーとは全然別物である。

当時ヒットラーは政権を取って内治に専念していた時代で、なんとかいう名の経済学者を起用して、危機に瀕していたドイツの経済を2年で建てなおしたから、国際的に評判がよかった。その経済学者は「魔術師みたいな経済学者」という名声を博した。

二次大戦後、この経済学者が、独立間もないインドネシアに招聘されて、経済振興の方法を問われた。数ヶ月の研究の後、彼は「インドネシアに必要なものは胃潰瘍である」という結論を遺して立ち去った。インドネシア人はのんきすぎる、もっといろいろなことを心配して胃潰瘍をおこすほどほどでなくちゃいかんという意味だそうだ。
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