Re: 梅干
投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/09/09 18:28 投稿番号: [1962 / 3149]
1941年初冬、モスクワ近郊では猛烈な戦闘があって、これが翌年の春まで続いた。この、首都防衛のソ連の戦死者だけで40万に達したというから驚きである。独ソ戦といえば、スターリングラード、クルスク・オリョール、そして最後のベルリン陥落あたりは有名で、『丸』やその他の軍事関連書でわたしも多少の知識はあった。モスクワ攻防戦も知らなかったわけではないが、冬将軍の到来でドイツ軍がやむを得ず「転進」したのかと勝手に思っていた。
ジューコフ将軍の回想録ではその激闘は独ソ戦でも最大の規模と凄惨さだったという。しかし、そのフィルムがほとんど残っていない。死闘が続く毎日、双方とも撮影どころではなく、その機材すらろくになかったのだろう。モスクワの陥落を確定的と信じていた各国はドイツの撤退を大いに驚いたらしい。モスクワの日本大使館はそれ以前から繰り返し「ソ連軍の装備と戦意は十分であり、市民生活は維持されている。モスクワは占領されまい」と東京の外務省に打電している。12月の日米開戦を控えた東条内閣はその報告に耳を貸さなかったがヨーロッパの戦線はすでに転換期を迎えていたのである。
ずいぶん前だが、シベリアに抑留されたフロパンガス屋の親爺さんから話を聞いたことがある。「終戦の年だったか、内地からずいぶん兵隊が来たけど、腰の水筒が竹筒だったのには驚いたな。抑留されて知ったんだが、ソ連兵がみんなラッキーストライクを吸っていたんだよ。トラックなんかみんなアメリカ製だったな。薬でもなんでもみんなアメリカ製だったよ」
これは メッセージ 1961 (tokyo_cachito3 さん)への返信です.
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