邱永漢台湾に帰る
投稿者: unhoo 投稿日時: 2009/05/25 00:13 投稿番号: [1873 / 3149]
>邱氏によれば、「台湾政府から三顧の礼で迎えられた」という。台湾の国際的地位が急変して「変に臨んで驚かず」などと悲壮なスローガンが見られたのもこの時期だが、蒋政権の恐さを知っている奥さんは懸命に反対したそうだ。「蒋総統万歳と書いた旗を持って丸一日台北市を歩き回らされた」となれば、「話が違う」と、彼も苦々しい思いだったのではないか。
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事前に何度も丁重な帰国要請があったのは、ほんとかも知らんが、台湾に着いたら「蒋総統万歳をやることは絶対必要な手続きだから」と言われて、今更袖をひるがえして日本へ戻るのは惜しい、まして相手は蒋政権だから奥さんが恐れていたことが起こりかねない。それで仕方なく官員の頼みに従ったのであろう。旗を持ってくたびれた邱氏の写真が新聞に出ました。旗は手旗ぐらいのもの。テレビには歩いているさまが映っていただろうが、わしは見なかった。
やがて台湾の新聞は邱氏の台湾開発計画の論文を争って掲載した。邱氏は次々と景気のいい論文を書いた。そのころの邱氏は中国語の文章が書けなかったから、日本語で書いた文章を他人が中国語に翻訳して、新聞に掲載した。訳者の名は出なかったが、翻訳の出来は上々。その文章を読むと、まるで台湾は今にも世界一の金持ち国になれそうだった。そうならなかったところを見ると、邱氏の書いたことは机上の空論が多かったのだろう。
記憶では邱氏の計画に海流発電計画があった。台湾海峡には北へ流れる永久性の潮流がある。その速度はなかなか速い。よってその潮流を利用して発電すれば、台湾は電力に不足を起こすことがない・・・と。
邱氏の日語の著書に、その頃の自分のことを「私はたちまち台湾一有名な人物になった」と書いてあるのは嘘でなかった。
これは メッセージ 1872 (tokyo_cachito3 さん)への返信です.
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