Re: 勅令
投稿者: unhoo 投稿日時: 2008/12/28 00:14 投稿番号: [1728 / 3149]
2.26事件で,反乱将校に率いられた兵士に帰隊を呼びかけた布告文「兵に告ぐ」は効果を発揮して、事件が内乱にならずにすんだのだそうで、その文は当時たいへん賞賛されました。
ところが後になって、その文は明治15年発布の「軍人勅諭」のなかの「下級のものは上官の命を承ること実は直に朕が命を承る義なりと心得よ」に違反すると言う人が出て、「兵に告ぐ」は名文ではなく、「疑問のある文」ということになりました。
わしは、軍人勅諭の方に無理があると思います。
2.26事件が発生したときは、わしは小学校卒業一ヶ月前で、新聞が読めるようになっていたから、事件の内容はかなり理解していました。「兵に告ぐ」は最後の国語科の試験の題材になりました。冒頭に「兵に告ぐ」の全文が出て、その後に「この部分はどんな意味ですか」「お前たちとは誰のことですか」という問題がすくなくとも十題出ました。あの時代の小学校の国語科の水準はなかなか高かったですよ。
戦前の東京のラジオ放送局のコールサインはJOAKだったように記憶しています。台湾は台北と台南との2局があって、それぞれJFAK、JFBKでした。夜9時(?)に放送が終わって、それ以後はうんともすんとも言わず、ときどき空中電気で起こるというガーガー、ザーザーの雑音が鳴ります。朝は6時前にスイッチを入れて待っていると「ジェイ エフ ビー ケー、ジェイ エフ ビー ケー。こちらは台南放送局でございます。只今からラジオ体操の放送をいたします・・・」と鳴り出します。それが一日の放送の始まりです。思い出しましたが、晩9時(?)の放送修了の言葉は「ジェイ エフ ビー ケー、ジェイ エフ ビー ケー。」でした。
春日某に国会でその「リンチ殺人事件」を蒸し返されたとかいう話は、今まで一度も聞いたことがありません。
>東大物理学部を出た秀才は「勅令」というものが天皇の命令であることをまったく知らなかった。<
ほう、そうでしたか、わしらが小学生だったときは、一年生から教育勅語をつめこまれたので、「ちょくご」とは天皇陛下のお言葉と知っていました。四年生からは「教育勅語」という漢字四字が書けなければならず、そのついでに勅令とは天皇陛下の御命令だと教えられたはずです。
ところが後になって、その文は明治15年発布の「軍人勅諭」のなかの「下級のものは上官の命を承ること実は直に朕が命を承る義なりと心得よ」に違反すると言う人が出て、「兵に告ぐ」は名文ではなく、「疑問のある文」ということになりました。
わしは、軍人勅諭の方に無理があると思います。
2.26事件が発生したときは、わしは小学校卒業一ヶ月前で、新聞が読めるようになっていたから、事件の内容はかなり理解していました。「兵に告ぐ」は最後の国語科の試験の題材になりました。冒頭に「兵に告ぐ」の全文が出て、その後に「この部分はどんな意味ですか」「お前たちとは誰のことですか」という問題がすくなくとも十題出ました。あの時代の小学校の国語科の水準はなかなか高かったですよ。
戦前の東京のラジオ放送局のコールサインはJOAKだったように記憶しています。台湾は台北と台南との2局があって、それぞれJFAK、JFBKでした。夜9時(?)に放送が終わって、それ以後はうんともすんとも言わず、ときどき空中電気で起こるというガーガー、ザーザーの雑音が鳴ります。朝は6時前にスイッチを入れて待っていると「ジェイ エフ ビー ケー、ジェイ エフ ビー ケー。こちらは台南放送局でございます。只今からラジオ体操の放送をいたします・・・」と鳴り出します。それが一日の放送の始まりです。思い出しましたが、晩9時(?)の放送修了の言葉は「ジェイ エフ ビー ケー、ジェイ エフ ビー ケー。」でした。
春日某に国会でその「リンチ殺人事件」を蒸し返されたとかいう話は、今まで一度も聞いたことがありません。
>東大物理学部を出た秀才は「勅令」というものが天皇の命令であることをまったく知らなかった。<
ほう、そうでしたか、わしらが小学生だったときは、一年生から教育勅語をつめこまれたので、「ちょくご」とは天皇陛下のお言葉と知っていました。四年生からは「教育勅語」という漢字四字が書けなければならず、そのついでに勅令とは天皇陛下の御命令だと教えられたはずです。
これは メッセージ 1727 (tokyo_cachito3 さん)への返信です.
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