Re: そう・・・
投稿者: minaminokazegahuku 投稿日時: 2011/07/10 23:25 投稿番号: [53 / 152]
〜〜〜
何故、敢えてクロサワ作品にしたのか?
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名が売れていたので、その名だけで物が売れると錯覚したのでしょう?
私は20歳のとき、映画館で丸二年仕事していました。そのときにはじめて洋画を鑑賞できるようになったわけです。その前は日本映画世界一と、迷信していました〔笑い〕
羅生門が得賞する前,日本映画は世界舞台には、全然立場がなかったのでした。羅生門のおかげで、世界中が日本の映画に目を向けるようになりました。それから20年ぐらい、日本映画〔洋画も一緒〕が、黄金時代に入りました。〔そのとき、テレビはすでに面世していましたよ。ただ普及までにはちょっと時間がかかるようでした〕
私、映画が大好きで、日本留学時代は早速映画会員に参加し、半額で見ることができるだけでなく、一ヶ月に、一人の監督さんを招いて、映画の経験談をするのですね。その中の一人が、谷口?先生「暁の脱走」を監督した方でした。その映画に関する話、秘話みたいで、幸せ感一杯でした。
「暁の脱走」は私が見た第一本目の「大きい映画でした」
終戦して15年後かな?吉田首相が台湾を訪問して、蒋介石と日華和約を締結
して、それから日本映画が入れるようになったのでした。名の知らない独立製作がどーッと流れ込み、それから「青い山脈」が来たわけですが、どうしたことか、青い山脈,私、見ていなかったでした。ダイブたってから再上映の時にはじめてみました。青い山脈は見損なったが、「暁の脱走」鑑賞した時の感動、今でも、おぼえていますよ。
山口淑子に名を回復していたのでしたが、昔は李香蘭でした。大根役者と良く皮肉された池部良でしたが、この映画での演出、目を光らせる演技でしたよ。中、若山セツ子という子が、印象的でした。
ハリウッドの西部劇、長い時代がありました。西部劇を演じなかったら、役者でないようでね!!(わらい)
日本のは時代劇が特長でしたね。長い時代がありました。悲しいことに、今では時代物も、立派に出来ているのはないみたいですね。
「男は辛いよ」その映画台湾には入っていません。値が高すぎるのかな?
私は、留学で始めてその映画を知り、貪るように、前のを掘り出して鑑賞しました。長命作品、今でも世界記録ですよ。
では、あしたにまた〜〜
これは メッセージ 52 (pumpkinpie_cinnamont_amin さん)への返信です.
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