Re: 敗戦
投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2011/06/06 02:05 投稿番号: [313 / 318]
yuwfui様:
natunokaze001さんの補足です。南部鳳山街、高雄市に第七七部隊根拠地
から8月16日に脱兎のごとく解散、帰宅しました。わずか5ヶ月半の勤労学徒の奉仕でした。高雄埠頭には中華(国府軍)を迎えにいきませんでしたが、すぐに(1945年末には)高雄の寿山と七七部隊営舎に中華軍が設営
しました。そして街中に出てきた少年兵(15−18歳くらい)は汚れた
服と足袋をはいていてやせた体で顔だけが大人びて、目はぎょろぎょろばかり動いていました。珍しいものばかりだったのでしょう。多くの店や市場で
掠めた漬物(たくあんなど)をぶら下げて、蝿が周りを飛んでいました。別に払いのけることはしませんでしたね。手で鼻をかむ動作や痰を道路に吐き出す作法、誠に当を得たもので上手(?)でありました。トラックに乗った
経験が少ないのかバックを始めると、たったまま騒いでいました。バックにあった壁際20センチで停車すると立ったままの兵士が半分はトラックから
落下してしまいました。運転手は日本兵でありました。鳳山公園、屏東公園
はきれいな公園でしたが、彼らがテントを張って3ヶ月、紙くず、煙草、
などの屑が散らかり、無残な姿と変わりました。正当にお金を払って入手する考えがないのか、小さいものは横取りでしたね。私も茣蓙を敷いて売った
家具と本の代金は帰宅しようとするとどこからか出てくる少年匪賊集団に
取られてしまったものです。革靴などを履いているのは高官で基隆沖に持ってこさせた日本軍の革靴でありました。ぞうり、地下足袋が普通でしたね。
字が読めない、書けない兵士ですから気の毒でしたね。官吏は半山人が活躍しましたね。本島人でも祖国の英雄が来たと勘違いして歓迎したのもわずか半年でおわりましたね。官舎に接収できた半山国民党員は貴重品だけは
ポケットにいれましたね。父の金時計などです。高中の先輩の藩君は(米田)早く台湾から出て行ってもらう運動が必要だともうしていました。高中
一の喧嘩大将でした。こんな連中に支配されるなんてーーー。
これは メッセージ 312 (natunokaze001 さん)への返信です.
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