Re: 寿命真近では?
投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2011/05/29 13:13 投稿番号: [294 / 318]
yuwfui様:
あの灯台の後側はまさに高雄警備隊の重要基地でありました。戦後の金門の防備そこのけの重装備でトンネル、壕、部屋、大砲とならんで今氏tが残念ながら禁止区域で見たことがありません。それでも艦砲射撃がくれば、吹っ飛んでしまうのでしょうね。1992年に旗津のビーチで外海で空爆で沈んだ
日本艦船の先首が空を向いて錆びた船骨をさらあけだしていました。
清国の領有時代は旗后半島でありましたね。当時の旗后の街は市内で一番
栄えた商業地区であったとか。日本統治になって市街地がどんどん東に移動
して(市役所、州庁)繁華街も東に移り、旗后の街が寂れたそうです。
旗律の名前はどこの出所かわかりませんが、日本語系の文には全部旗津半島
とありその前は旗后半島としています。中国語関係の文を読むと旗律の文字
がたまにみえますね。戦後の第二出口の造作で半島が島になったのですが、
公文書、案内書でも地図にも旗津半島と記載されています。之は習慣上の
使い方が便利が良いからか、旗津半島のビジネス関係(商工会議所などの)
のすべての印刷物の印刷のし直しに反対されて現状維持で旗津島とはしない
のですね。1943年い私が見た最後の高雄港は入港出来ない艦船も含めてマスト、マストで、しかも出口が狭くて出入りする艦船2隻の通過は危険で
ありましたね。想定外でデザインが小港向きでありましたね。
これは メッセージ 293 (yuwfui さん)への返信です.
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