李朝朝鮮

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Re: 秀吉のバテレン禁止令から鎖国まで

投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2007/07/16 23:50 投稿番号: [959 / 1329]
宣教師達は自分たちの出身地のヨーロッパの支配者のように、異国の宣教師である自分達をすぐに殺して片付けるだろうと思い、互いに死ぬ前の告白を行い、死の準備をしていましたが、その心配がないことが「バテレン追放令」で明確になり、出発する船がないという口実で6ヶ月の猶予を願い出、秀吉はそれを聞き入れました。
宣教師達はその後、様子を見ながら時を稼ぎ、憎むべき異端宗教である神社の破壊活動は見合わせ、日本人キリシタンの間に匿われながら布教を続けました。
イエズス会の記録によると、220人の会士が日本に在住し、そのうち3人は京都に潜伏、後は主として、九州のドン・プロダジオ(有馬晴信)の領内にいました。

京都の中央政府はこれら外人宣教師の数も居場所も知らず、その動きを調べて登録する必要さえ感じず、追放令を追行するための具体的手段も何らこうじていませんでした。

秀吉が高槻のキリシタン大名・高山右近の領地を点検すると、神社の破壊と領民の強制キリシタン化に驚きました。そして、秀吉は高山右近に大名の地位か信仰かどちらか捨てるように命じました。右近は信仰を取り、加賀の前田家を頼って追放の身となったのです。

秀吉のバテレン禁止令は日本のキリシタンに大きな動揺を与え、頑なに信仰を守る者と、即時に捨てる者の両極端に分かれました。また今まで神社仏閣を破壊されて怒りを抑えていた日本人達がバテレンの教会を放火などで破壊され、バレテンの作った学校も閉鎖になりました。
イエズス会の記録でその当時の九州には、12万余りのキリシタンがいたと書かれてますが、信仰を強制されてた人々は急速に離れていきました。

日本政府から大迫害を受け、信仰の自由をもぎとられ、困難と危険にされられているとバレテン達はヨーロッパに報告し続けましたが、ヨーロッパ的な残酷きわまる迫害はまだどこにも起こっていませんでした。1人の宣教師も投獄されず、殺されず、外出禁止令さえ言い渡されておらず、破壊焼却したおぎただしい数の神社仏閣・仏像神体についての責任も問われませんでした。

イエズス会の報告によると、秀吉の発令の動機は、彼が九州でキリシタンの美少女達を手に入れようとした時、彼女達が貞節を守って拒絶したために憤怒し、自分の都合に悪い怪しからん教えを広めたバテレンを追い払うことにしたと伝えています。
情欲を欲しいままにできなかった酋長のとっぴな怒りとして扱う以外、秀吉の指令に明白な追放原因を分析し、対応するだけの真面目さがなかったのでした。
改宗しなければならない自分達より幾段も下の異教徒と見てる以上、その酋長の言うことなど本気で取り扱いませんでした。

http://www.marino.ne.jp/~rendaico/nihonchristokyoshico/tuihorei.htm
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)