Re: 過酷な植民地政策ニダ!
投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2007/05/24 01:31 投稿番号: [828 / 1329]
>ああー、あの女史か…楽しみに待っています♪
記事だけ貼り付けたのでは、誰かと一緒ですから、一応ツッコミします。
>>教授は1900年代の初めから1930年代後半までの資料を利用、1人当りの国内総生産(GDP)面で韓国と台湾が1913年にはフィリピン、インドネシア、マレーシア、タイより立ち後れていたし、世界輸出市場の景気悪化のため、東南アジア植民地の成長が鈍化したりマイナスになるなど後退した1930年代こそ韓国と台湾の成長速度がこれらより先に進み始めたが、1938年までは相変らずフィリピンの1人当りGDPが韓国と台湾に比べて高かったと指摘した。
1930年代にやっとインフラ整備が進んで軌道に乗り始めたということでしょう。
とにかく、台湾はまだしも、朝鮮では日本は赤字だったんですから。
しかもフィリピン・シンドネシアのように農産品・資源を輸出する市場があった場合と、韓国と台湾の輸出先が日本に限られていて、外貨を稼ぐことができなかった場合とを比較できないでしょう。
しかも、所得の多くは一握りの米英蘭と原住民の支配層に握られていたと思うんですが。
しかも、この頃の日本(韓国・台湾)は米国から経済制裁を受けていた訳ですし。
>>日本が1918年深刻な米不足で暴動を経験した後、日本に対する米供給をふやすために、収穫の多いイネの種類を韓国に取り入れ、潅漑施設などに相当な投資をして、韓国の農業分野の付加価値が1913年から1938年の間にほぼ2倍に増加したことは事実だが「このような日本の農業政策が韓国と台湾の農村人口の福祉に及ぼした影響は批判の種」とブース教授は言う。
ここは意味不明。(苦笑)
>>教授は「日本の植民主義を`開発植民主義`と弁護したがる人々は、日本が韓国と台湾に渡したイネの栽培技術と物理的なインフラ構築をあげるが、これらの成果が果して1950年以後、両国の近代化の基盤になるだけ充分だったのかは疑問がある」「1938年の1人当りGDP、人口統計、教育統計などの複合人間開発指数を出してみれば、フィリピンが最高だった。」と言った。
米国のフィリピン経営がそんなに素晴らしかったでしょうか。初耳です。(苦笑)
韓国と台湾に対する戦後の米国と日本の経済・技術援助をすっぽり抜かしてますね。
同じ援助をしても、フィリピンもインドネシアも発展できないのは何故?(苦笑)
韓国と台湾の産業基盤・教育基盤の種を日本が植えて、芽が育ったということです。
私事になりますが、我が家のGさんは某社で発電機の設計・製造の仕事をしておりました。
それで、1970年代フィリピンに発電機を売却すると、また売ってくれと言ってくる。
景気がいいのかなと思っていると、故障しても修理のできる人材がないので、故障した発電機が山積みになっているらしい。
会社としても黙って新しい発電機を売れば儲かるが、修理が可能ならば長く使って貰いたいし、修理が出来るフィリピン人の人材を育てたいというので会社から教育を兼ねた修理要員を送り出したが、フィリピン人は高校生の物理・電気理論どころか、中学生程度の数学も満足にできない。
もう大変だったらしいです。
そのGさんが戦前の工業学校電気科に通っていた頃は、クラスに朝鮮人の学生もいて、よく勉強のできるヤツだったと申しております。
一点をもって全部を語ることはできませんが、こんな感じだったと思いますね。
記事だけ貼り付けたのでは、誰かと一緒ですから、一応ツッコミします。
>>教授は1900年代の初めから1930年代後半までの資料を利用、1人当りの国内総生産(GDP)面で韓国と台湾が1913年にはフィリピン、インドネシア、マレーシア、タイより立ち後れていたし、世界輸出市場の景気悪化のため、東南アジア植民地の成長が鈍化したりマイナスになるなど後退した1930年代こそ韓国と台湾の成長速度がこれらより先に進み始めたが、1938年までは相変らずフィリピンの1人当りGDPが韓国と台湾に比べて高かったと指摘した。
1930年代にやっとインフラ整備が進んで軌道に乗り始めたということでしょう。
とにかく、台湾はまだしも、朝鮮では日本は赤字だったんですから。
しかもフィリピン・シンドネシアのように農産品・資源を輸出する市場があった場合と、韓国と台湾の輸出先が日本に限られていて、外貨を稼ぐことができなかった場合とを比較できないでしょう。
しかも、所得の多くは一握りの米英蘭と原住民の支配層に握られていたと思うんですが。
しかも、この頃の日本(韓国・台湾)は米国から経済制裁を受けていた訳ですし。
>>日本が1918年深刻な米不足で暴動を経験した後、日本に対する米供給をふやすために、収穫の多いイネの種類を韓国に取り入れ、潅漑施設などに相当な投資をして、韓国の農業分野の付加価値が1913年から1938年の間にほぼ2倍に増加したことは事実だが「このような日本の農業政策が韓国と台湾の農村人口の福祉に及ぼした影響は批判の種」とブース教授は言う。
ここは意味不明。(苦笑)
>>教授は「日本の植民主義を`開発植民主義`と弁護したがる人々は、日本が韓国と台湾に渡したイネの栽培技術と物理的なインフラ構築をあげるが、これらの成果が果して1950年以後、両国の近代化の基盤になるだけ充分だったのかは疑問がある」「1938年の1人当りGDP、人口統計、教育統計などの複合人間開発指数を出してみれば、フィリピンが最高だった。」と言った。
米国のフィリピン経営がそんなに素晴らしかったでしょうか。初耳です。(苦笑)
韓国と台湾に対する戦後の米国と日本の経済・技術援助をすっぽり抜かしてますね。
同じ援助をしても、フィリピンもインドネシアも発展できないのは何故?(苦笑)
韓国と台湾の産業基盤・教育基盤の種を日本が植えて、芽が育ったということです。
私事になりますが、我が家のGさんは某社で発電機の設計・製造の仕事をしておりました。
それで、1970年代フィリピンに発電機を売却すると、また売ってくれと言ってくる。
景気がいいのかなと思っていると、故障しても修理のできる人材がないので、故障した発電機が山積みになっているらしい。
会社としても黙って新しい発電機を売れば儲かるが、修理が可能ならば長く使って貰いたいし、修理が出来るフィリピン人の人材を育てたいというので会社から教育を兼ねた修理要員を送り出したが、フィリピン人は高校生の物理・電気理論どころか、中学生程度の数学も満足にできない。
もう大変だったらしいです。
そのGさんが戦前の工業学校電気科に通っていた頃は、クラスに朝鮮人の学生もいて、よく勉強のできるヤツだったと申しております。
一点をもって全部を語ることはできませんが、こんな感じだったと思いますね。
これは メッセージ 827 (trip_in_the_night さん)への返信です.
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