李朝朝鮮

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李朝の「鳥銃」

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2007/02/14 22:57 投稿番号: [665 / 1329]
最近読んだ「真説   鉄砲伝来」(宇田川武久   平凡社新書)という本に、李朝の鳥銃についての記述がありました。

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  壬辰・丁酉の乱が終結した五年後、咸鏡道巡察使の韓孝純が「神器秘訣」をあらわした。過去に銃筒式があるものの、内容が粗末でよくわからないので、本書を刊行したと韓孝純は述べている。
  このなかの鳥銃の項をみると、附属品の説明にはじまって、発放の手順、習法、製作法におよんでいる。この時期、王朝は北方の建州女直と戦っており、火薬兵器に習熟する必要があった。降倭によって伝えられた鳥銃、すなわち日本の鉄炮は、しだいに王朝に定着しはじめたのである。
  その後、仁祖三年(一六二五:寛永二)十一月の記録に、「李曙なる人物のつくった百挺の鳥銃は倭人の売買する物より勝れているし、済州の鳥銃もよその物にくらべて出来がよい」とみえる。地方によって出来の良し悪しがあったものの、鳥銃は朝鮮全土でつくられるようになったのである。

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>降倭によって伝えられた鳥銃、すなわち日本の鉄炮

そういえば、壬辰倭乱の時でも、捕虜や降伏した倭人のうち、鉄砲や焔硝の製造法を知る、あるいは剣術に秀でた者は厚遇して、その技術を学び取ろうとしていましたね。

上教政院曰「前有生擒倭二名、一名煮取焔硝、一名造作鳥銃。煮焔者、送于寧辺、保授官人、自秋為始、焔硝多数煮取、造為鳥銃者、送于産鉄某邑、亦令保授官人、鳥銃多数造作事、言于軍器寺、議于提調以啓。(後略)」
宣祖26年(1593年)6月16日

備辺司啓曰「降倭中、解剣、槍、鳥銃、煮焔、留置事、累次下教、而先来四十七人中、惟也叱已、最能用剣、煮焔。(後略)」
宣祖27年(1594年)7月24日
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