李朝朝鮮

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Re: チュオク途中から観ました。

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2007/01/21 01:40 投稿番号: [627 / 1329]
>いきなりお外でおトイレし〜ん(   Д )   ゚   ゚

>くさいぞ・・・かわやがあるのになんでかと問われて、星をみながらしようと思ったとか答えてました・・・

>ああ、こうして王宮周辺に黄金の花伝説が日本まで伝わるのですね。

私もやはり途中から見て、同じように思いました。

>面白くなさそうだったので、他のことをして適当に過ごしてたので、
内容は把握してませんが、最後の方で銃が出てきました。
火縄銃?朝鮮もあったのですね。
日本のように製造はしてないかもしれないけど、輸入で入ってきたのかな?

私は途中でチャンネルを他局に回してしまいました。

基本的に、フリントロック式、つまり撃鉄と火打ち石による発火装置を採用する以前の小銃は、縄に火種をキープしておく火縄銃(鳥銃)が主流でして、東アジア世界では特にその火縄形式が流布発達しました。

文禄慶長の役の後、光海君は降倭を中心とした鳥銃部隊を育成し、明と後金の激突したサルフの戦いにおいて、鳥銃隊5千を含んだ明への援軍1万を送りました。
突撃してくる後金騎兵数千VS迎え撃つ朝鮮軍前衛の鳥銃隊5千、というのは長篠の戦を連想させるのですが、一斉射撃の時に突如巻き起こった大風によって、発射煙がたちこめて視界を奪われ、さらに後金騎兵のスピードは、第二回目の射撃を許さないほど速いものであったため、朝鮮軍前衛は一撃で壊滅してしまいました。長篠の織田軍のような馬防柵や塹壕を備えた本格的な防備を施していなかったせいもあるかと。

で、三田渡で清に屈服した後、北伐、つまり反清を目的とした軍拡で、鳥銃部隊を再整備するのですが、それは清とロシアの国境紛争に借り出されてしまったのでした。

1639年から始まった清と明の大戦において、朝鮮の砲兵も出兵を求められています。
で、狙いをあらぬ方向に外した兵卒が、激怒した清の軍官に斬られたり、しばかれたり、あるいは朝鮮兵の射撃が間違って清兵にあたってしまって、しばかれたり、というグデグデもありました。
最後には、清帝ホンタイジからその功労にお褒めの言葉をいただいたのですが。

そういうわけで、火縄銃が存在していたのはわかるのですが、その製造についてはよくわかりません。製造していたと考えたほうが無難なのかなぁ・・・

なお、仁祖実録を読みますと、軍の中では砲兵の地位を低く見ていたものもいたようです。で、仁祖お出での席で、自ら砲兵の訓練をおこなって「砲については、みんな賤しい技術と言って避けているのに、みずから試みて士卒を奮い立たせたことはすばらしい」として特別に馬を賜った李時白という司令官がいました。(仁祖実録   仁祖16年(1638年)2月13日)
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