李朝朝鮮

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Re: >朝鮮のキリスト教

投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2007/01/07 23:49 投稿番号: [597 / 1329]
昭顕(ソヒョン)王子は
中国が世界に中心に在り、中国の皇帝が全宇宙のただ一人の統治者であるという華夷思想を否定するものに触れてしまったから、
危険人物として殺害されたのですね。
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崔基鎬著「韓国・堕落の2000年史(9)」

   「17世紀後半から18世紀まで」
9章   いまに続く朝鮮の宿痾
   ○なぜ、日本では党派争いが起こらなかったのか?
 
清から戻った皇太子は、なぜ殺されたのか?
 
  仁祖王は、清の太宗に屈辱的な降伏をした後に、降伏条件に従って長男の昭顕世子、その妻の姜嬪と、次男の鳳林大君、三男の麟坪大君を人質として差し出した。
  3人の王子は300人以上の官僚や、従者を伴って満州の瀋陽へ赴いた。その時は、清はまだ北京を攻め取っていなかった。
  人質達は、初めは瀋陽に置かれた瀋陽館所に滞在し、清が北京を支配する様になった後に、北京に移った。瀋陽館所は李朝の大使館に当たり、瀋館と略して知られた。
  昭顕世子が人質として出発した時は、24歳だった。鳳林大君は7歳年下だった。昭顕世子は生まれつき利発で、清に滞在していた間に、次代を担う使命感から、西学と呼ばれた西洋の科学を学び、モンゴル語と外交を研究した。
  その妻の姜嬪も才女だったが、貿易業を営んで、滞在中の経費を賄うと共に、清の宮廷の機嫌を取り結ぶ為に、珍しい物品を献じたりした。人質の滞在経費は、主として朝鮮王室から送られ、清も補助したが、姜嬪もまたそれを賄うのに功が在ったのである。
  3人の王子は、清で8年の歳月を送った。昭顕はこの間、清の遠征に積極的に従軍した事から、清朝の信頼を得る様になった。更に仁祖が清の太宗に懇願した事によって、世子は、二人の弟と共に帰国する事を許された。
  昭顕世子は、西学の文献を多く携えて、帰国した。ところが、朱子学に頑ななまでに凝り固まっていた父王の仁祖にとって、昭顕が説く西がくは邪学でしか無かった。昭顕が得意になって父王に披露した地球儀も、仁祖には狂器にしか見えなかった。
  昭顕は、北京で、西洋のキリスト教宣教師が齎した西学に触れて、天文学を始めとする西洋科学や、天主教の教義などを学んだのだが、それは地球儀一つを執っても、中国が世界に中心に在り、中国の皇帝が全宇宙のただ一人の統治者であるという華夷思想を否定するものだった。儒教を奉じる李氏朝鮮に於いて、これは許される事では無かった。
  遂に仁祖は、我が子である昭顕を毒殺した。
  貿易業に才覚を見せた、その妻の姜嬪も、商業を賤業扱いしていた儒学に反した罪によって、やはり毒殺された。3人の罪の無い孫達も、穢しい子と見做されて、済州島へ配流された。姜嬪の父母、兄弟も、皆、賜薬を賜って、毒殺処分にされた。
  この連座制の伝統は、今日、北朝鮮で公然と行なわれている。韓国でも生命を奪う事までは無いものの、皆無とは言い切れない。
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