李朝朝鮮

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国号決定の経過1

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/11/10 12:49 投稿番号: [454 / 1329]
「朝鮮」という国号の決定について、史書を拾ってまとめてみました。
まず、『明史』の「列伝第二百八   外国一   朝鮮」の太祖洪武帝二十五年の条です。

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冬、成桂聞皇太子薨、遣使表慰、并請更國號。帝命仍古號曰朝鮮。

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あっさりしていますね。そこで朝鮮の『太祖実録』元年十一月二十七日の条を見ると、

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甲辰   計稟使前密直使趙琳、回自京師、上率百官、出迎西郊。琳奉傳禮部咨、曰「禮部咨高麗權知國事。洪武二十五年十月十一日、本部右侍觔張智等官於西角門、早朝將來辭奏聞、欽奉聖旨『高麗前者差人來奏本國情由、今覽來辭、不過前日之事。然我中國綱常所在、列聖相傳、守而不易。高麗限山隔海、天造東夷、非我中國所治。爾禮部回文書、聲繁自由、果能順天意合人心、以妥東夷之民、不生邊釁、則使命往來、實彼國之福也。文書到日、國更何號、星馳來報。』欽此、本部今將聖旨事意、備云前去。」
(中略)
會耆老及百官于都堂、議國號。

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口語訳してみました。

明の首都南京に行っていた計稟使前密直使の趙琳が帰ってきたので、李成桂は文武百官を率いて西郊で迎えました。趙琳は明の礼部の意見について伝えました。
「礼部は高麗権權知国事について意見を出し、十月十一日、礼部の右侍觔張智らは西角門で出勤途上の光武帝に奏上しました。皇帝の聖旨は『昔、高麗は使者を遣わしてその国情を報告したとか聞いとんねんけど、いまその報告を見たら、昔と国情が違うやないかい。まぁ、そういうても、わしら中国の綱常(君臣・父子・夫婦の三綱と仁義礼知信の五常)もあって歴代の聖人が伝え変えずに守っとるしなぁ。ほんで高麗は地の果てやし、天も東夷を置いたくらいやし、べつにウチが統治するとこでもないわな。よっしゃ、お前ら礼部は「皇帝の威厳と教えは思うままであり、天意に従い人心に合うもんや。そいつで東夷の民を安んじ、辺境に瑕疵が生じないようにせぇ。この命令が往き来するんが彼の国のほんまの幸せっちゅうもんやで。この文が届いたら、国号を何に変えるかちゃっちゃと知らせてこいや」と文書を送ったれ』とのことです。礼部はその聖旨どおりの意見を伝えてきました」
(中略)
古老と百官は都堂に集まって、国号について会議をしました。

で、どうなったかは次回で。
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