文明の転換から見る韓民族5000年史
投稿者: japanese_chosun 投稿日時: 2008/08/19 09:49 投稿番号: [1212 / 1329]
キム・ヨンソプ著『韓国文明の転換』(知識産業社)
韓民族の歴史を「文明の転換と世界化」という巨視的な観点から観察した一冊。著者はソウル大と延世大で韓国史を教え、学術院の会員でもある。著者は古代から現代まで5000年にわたる韓民族の歴史を、文明史の側面から三つの時期に分け、それぞれの特徴と発展過程に光を当てた。
韓民族はアルタイ系北方民族の一つで、紀元前3000年ごろ、満州の遼東地域と韓半島(朝鮮半島)に古朝鮮をつくり、歴史の舞台に登場した。古朝鮮は最近、その華麗な実態が明らかになっている遼河文明「紅山文化圏」の影響下に建設され、韓民族の固有文明を形成した。著者は檀君神話の再解釈を通じ、桓雄・庶子・風伯などの部族集団が古代国家を建設し、権力を移譲される過程を追跡した。
韓民族は紀元を前後して中国文明の「天下」体制に編入され、儒教思想を受け入れた。韓民族の認識範囲が、韓半島周辺の小世界から東アジアの中世界へと拡大したわけだ。著者はこれを「第1次文明転換および世界化」と規定する。
その過程は、決して平和的なものではなかった。漢の侵略で古朝鮮は滅亡し、漢四郡が置かれた。漢四郡を追い出し高句麗・新羅・百済を建ててからも、中国との緊張関係が続いた。しかし、古朝鮮が滅亡した原因が文明の遅れにあることを見抜いた3国の指導部は、中国の進んだ制度や文物を導入することに積極的だった。中国の政治・社会を学ぼうという国家指導層の姿勢は、統一新羅や高麗、朝鮮にも受け継がれた。
その過程で、中国文明との関係をいかに設定するかをめぐり、激しい衝突が起きたこともあった。代表的な例は、高麗中期における金富軾(キム・ブシク)と一然の間の見解の差だ。金富軾が中国文明の徹底した導入を主張したのに比べ、一然は固有文明の尊重を強調した。韓民族が下した結論は、固有文明のアイデンティティーを維持しつつ、中国文明を受け入れ統合するというものだった。著者は、ハングルの創出とハングル・漢字の混用を代表的な例に挙げている。
19世紀後半、中国中心の「天下」秩序が崩れ、西欧文明の導入が始まった。韓民族が中世的な東アジア文明圏から抜け出し近代的な大世界文明圏に入っていくこの過程を、著者は「第2次文明転換および世界化」と規定する。著者は、自由・平等・博愛や民主主義といった普遍的価値の受容が不可避だった、と見ている。しかしその一方で、文明転換に努力しつつもアイデンティティーを失わなかった祖先の知恵を忘れてはならない、とも強調している。
第2次文明転換は現代的な意味が大きいが、これを扱う部分がかなり省略されているのは惜しい。しかし、韓民族が直面している激変の民族史的意味をベテラン学者の洞察力を借りて観察する、という貴重な機会を提供している一冊だ。
李先敏(イ・ソンミン)論説委員
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
http://www.chosunonline.com/article/20080810000004
韓民族の歴史を「文明の転換と世界化」という巨視的な観点から観察した一冊。著者はソウル大と延世大で韓国史を教え、学術院の会員でもある。著者は古代から現代まで5000年にわたる韓民族の歴史を、文明史の側面から三つの時期に分け、それぞれの特徴と発展過程に光を当てた。
韓民族はアルタイ系北方民族の一つで、紀元前3000年ごろ、満州の遼東地域と韓半島(朝鮮半島)に古朝鮮をつくり、歴史の舞台に登場した。古朝鮮は最近、その華麗な実態が明らかになっている遼河文明「紅山文化圏」の影響下に建設され、韓民族の固有文明を形成した。著者は檀君神話の再解釈を通じ、桓雄・庶子・風伯などの部族集団が古代国家を建設し、権力を移譲される過程を追跡した。
韓民族は紀元を前後して中国文明の「天下」体制に編入され、儒教思想を受け入れた。韓民族の認識範囲が、韓半島周辺の小世界から東アジアの中世界へと拡大したわけだ。著者はこれを「第1次文明転換および世界化」と規定する。
その過程は、決して平和的なものではなかった。漢の侵略で古朝鮮は滅亡し、漢四郡が置かれた。漢四郡を追い出し高句麗・新羅・百済を建ててからも、中国との緊張関係が続いた。しかし、古朝鮮が滅亡した原因が文明の遅れにあることを見抜いた3国の指導部は、中国の進んだ制度や文物を導入することに積極的だった。中国の政治・社会を学ぼうという国家指導層の姿勢は、統一新羅や高麗、朝鮮にも受け継がれた。
その過程で、中国文明との関係をいかに設定するかをめぐり、激しい衝突が起きたこともあった。代表的な例は、高麗中期における金富軾(キム・ブシク)と一然の間の見解の差だ。金富軾が中国文明の徹底した導入を主張したのに比べ、一然は固有文明の尊重を強調した。韓民族が下した結論は、固有文明のアイデンティティーを維持しつつ、中国文明を受け入れ統合するというものだった。著者は、ハングルの創出とハングル・漢字の混用を代表的な例に挙げている。
19世紀後半、中国中心の「天下」秩序が崩れ、西欧文明の導入が始まった。韓民族が中世的な東アジア文明圏から抜け出し近代的な大世界文明圏に入っていくこの過程を、著者は「第2次文明転換および世界化」と規定する。著者は、自由・平等・博愛や民主主義といった普遍的価値の受容が不可避だった、と見ている。しかしその一方で、文明転換に努力しつつもアイデンティティーを失わなかった祖先の知恵を忘れてはならない、とも強調している。
第2次文明転換は現代的な意味が大きいが、これを扱う部分がかなり省略されているのは惜しい。しかし、韓民族が直面している激変の民族史的意味をベテラン学者の洞察力を借りて観察する、という貴重な機会を提供している一冊だ。
李先敏(イ・ソンミン)論説委員
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
http://www.chosunonline.com/article/20080810000004
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