捕盗庁から警察へ
投稿者: monju_jz 投稿日時: 2006/04/28 15:02 投稿番号: [121 / 1329]
李朝時代の組織はどれも腐敗していたと思いますが、捕盗庁も例外ではなかったのではないでしょうか。
以下は、時期がちょっとずれますが大韓帝国時代に渡韓しずっと警察を見続けてきた国友尚謙という人の回顧談です。腐敗の状況がよくわかります。
私は明治三十八年にはじめて渡鮮したが、順序として少しそれ以前にさかのぼって話そう。日清戦争前夜は韓国政府内に捕盗庁というものがあり、これが警察事務をつかさどっていた。捕盗庁には、文武の左右捕盗大将がいて、これが警察権を司っていたが、制度の点でも又運用の点でも当時の捕盗庁は十分警察機能を発揮し得ないのみか、寧ろ弊害続出の有様であったので、これに鑑み日清戦役後、韓国政府は日本の警視庁から武久克蔵という人を顧問に招聘して韓国警察の革新をはかった、武久氏はほぼ日本の警察制度にならい、日本が明治維新後に巡査を士族の子弟に求めたように、やんばんの子弟から警察官を採用することとし、着々その緒についたのである所がその事業がまだ完成せぬ先に露国の勢力はグイグイ韓八州を席捲し、武久氏は帰国を余儀無くされ、引いては日本の勢力も失墜するのやむなきに立ち至ったのである。
武久氏が帰国すると韓国政府は強制を受けてか、或は自発的にか、その辺は詳らかでないが、兎に角露国から警察顧問を仰いだのである。露国顧問は中央に警部という役所を置を、警部大臣を据え、全国の警察を統一して指揮命令したのである。しかし当時韓国の国状は各機関の統一を失い弊政続出の折柄とて警察ひとりその埓外にあるはずもなかった。大小の警察官は職権をふるい専横をほしいままにし全く警察専制政治を現出し、生命財産の安全は旧態依然として何等期待しうべくもなかった。私利私欲のため良民を苦しめる小物政争の具に供して警察権を濫用する大物、これ等が雑然として韓国の警察を形成していたのが、当時の現状である
この現状に鑑み韓国政府は露国の顧問を退け、仏国より顧問を招聘し、仏国の顧問は大体日本の制度を採り、警察界の刷新をはかったが、警察を政争の具に供する点においては仏国顧問時代でも旧態依然たるものがあった。この弊はその後年を加うるに従って深刻となり、遂には警察界に入ることを普通人は肯せざるにさえ至り、又入ることも困難になった。
なぜかなれば両班、貴族は自個の下人、人夫籠舁の類を警察官に採用し、これを自個の爪牙として勢力を揮った。こうして韓国の政治は益々紊乱を加えて行ったので明治三十七年日本政府は警務財務、外務の三事務の改革を進言し、それぞれ顧問を推薦した。警務の顧問は警視庁第一部長の丸山重俊さんであった。その後、私は間もなく韓国に渡り、韓国の警察界に入ったのである。
私達が来た頃の韓国警察界は、前に述べたような御話にならぬ状態にあり、加うるに巡校(巡査のこと)の月給は四円乃至六円、警部が八円乃至十二円、警務官(今の警視)が十五円であった。全部白銅貨で支払われるが、これを日本の金貨に換算すると韓貨二円六十銭が日貨一円に相当し、巡校四円の月給は日貨の一円四、五十銭内外にしか当たらなかった。これでは如何に物価が安く生活程度が低いといっても月給だけで生活することの出来ぬことは当然なことであった
続く
以下は、時期がちょっとずれますが大韓帝国時代に渡韓しずっと警察を見続けてきた国友尚謙という人の回顧談です。腐敗の状況がよくわかります。
私は明治三十八年にはじめて渡鮮したが、順序として少しそれ以前にさかのぼって話そう。日清戦争前夜は韓国政府内に捕盗庁というものがあり、これが警察事務をつかさどっていた。捕盗庁には、文武の左右捕盗大将がいて、これが警察権を司っていたが、制度の点でも又運用の点でも当時の捕盗庁は十分警察機能を発揮し得ないのみか、寧ろ弊害続出の有様であったので、これに鑑み日清戦役後、韓国政府は日本の警視庁から武久克蔵という人を顧問に招聘して韓国警察の革新をはかった、武久氏はほぼ日本の警察制度にならい、日本が明治維新後に巡査を士族の子弟に求めたように、やんばんの子弟から警察官を採用することとし、着々その緒についたのである所がその事業がまだ完成せぬ先に露国の勢力はグイグイ韓八州を席捲し、武久氏は帰国を余儀無くされ、引いては日本の勢力も失墜するのやむなきに立ち至ったのである。
武久氏が帰国すると韓国政府は強制を受けてか、或は自発的にか、その辺は詳らかでないが、兎に角露国から警察顧問を仰いだのである。露国顧問は中央に警部という役所を置を、警部大臣を据え、全国の警察を統一して指揮命令したのである。しかし当時韓国の国状は各機関の統一を失い弊政続出の折柄とて警察ひとりその埓外にあるはずもなかった。大小の警察官は職権をふるい専横をほしいままにし全く警察専制政治を現出し、生命財産の安全は旧態依然として何等期待しうべくもなかった。私利私欲のため良民を苦しめる小物政争の具に供して警察権を濫用する大物、これ等が雑然として韓国の警察を形成していたのが、当時の現状である
この現状に鑑み韓国政府は露国の顧問を退け、仏国より顧問を招聘し、仏国の顧問は大体日本の制度を採り、警察界の刷新をはかったが、警察を政争の具に供する点においては仏国顧問時代でも旧態依然たるものがあった。この弊はその後年を加うるに従って深刻となり、遂には警察界に入ることを普通人は肯せざるにさえ至り、又入ることも困難になった。
なぜかなれば両班、貴族は自個の下人、人夫籠舁の類を警察官に採用し、これを自個の爪牙として勢力を揮った。こうして韓国の政治は益々紊乱を加えて行ったので明治三十七年日本政府は警務財務、外務の三事務の改革を進言し、それぞれ顧問を推薦した。警務の顧問は警視庁第一部長の丸山重俊さんであった。その後、私は間もなく韓国に渡り、韓国の警察界に入ったのである。
私達が来た頃の韓国警察界は、前に述べたような御話にならぬ状態にあり、加うるに巡校(巡査のこと)の月給は四円乃至六円、警部が八円乃至十二円、警務官(今の警視)が十五円であった。全部白銅貨で支払われるが、これを日本の金貨に換算すると韓貨二円六十銭が日貨一円に相当し、巡校四円の月給は日貨の一円四、五十銭内外にしか当たらなかった。これでは如何に物価が安く生活程度が低いといっても月給だけで生活することの出来ぬことは当然なことであった
続く
これは メッセージ 105 (licky_eto さん)への返信です.
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