チャイナタウン 追加
投稿者: jgeilsbandfreek 投稿日時: 2006/12/01 13:42 投稿番号: [80 / 2701]
ソウルで世界華商大会
ソウル大会の開催は、韓国と華僑・華人・中華圏の結びつきを意味する象徴的な出来事だ。現在、中国では韓流ブームだが、一方、韓国でも中国ブームに沸いている。02年には対中投資額が対米投資を抜いてトップになり、03年には対中輸出も対米輸出を超えた。昨年の韓国の中国への投資額は日本を上回っている。
現在、中国における韓国人留学生の数は全体の4割以上を占めており、日本の倍以上。9・11以後は、留学先の主流は米国から中国へと移った。また、01年からは大学入試で中国語が外国語教科として導入され、高校や大学では中国語コースの新設も相次いでいる。韓国人の華僑学校への入学希望者も増加の一途だ。
こうした中韓両国の良好な関係が、韓国企業の中国市場進出を支えている。日中関係が「政冷経熱」(政治関係は冷え込んでいるが、経済関係は熱い)から「政冷経涼」(経済関係も伸び悩む)といわれているのと対照的である。
中韓の経済的な緊密化や韓国社会の中国ブームとともに、最近、長らく韓国の地を離れていた華僑が再び戻ってきている。世界華商大会のソウル開催は、こうした流れを加速させることになるだろう。
中国との緊密化とともに韓国のチャイナタウンが復活
華僑・華人の数は世界で4000万人とも5000万人ともいわれているが、なかでもチャイナタウン(中華街)は彼らの生活や文化、ビジネスの拠点である。
チャイナタウンは世界中に存在しているが、地理的にも文化的にも中国にもっとも近いにもかかわらず、長らく韓国は世界でも珍しい「チャイナタウンがない国」と呼ばれて、韓国社会の閉鎖性と排他性を示す代表例とされてきた。
かつては朝鮮半島にも多くの華僑が居住していた。朝鮮半島における華僑の歴史は、日清戦争の原因ともなった1882年の「壬午軍乱」の際、半島に進駐した清国の商人に始まるといわれる。 彼らはソウルの明洞(ミョンドン)、小公洞(ソゴンドン)や仁川(インチョン)などに定着した。ソウルの代表的な繁華街として知られる明洞は華僑がつくった街なのである。1930年代には、韓国に居住する華僑は12万人を超えていたとされる。
しかし、45年の独立以降、華僑社会は大きく衰退していった。韓国のチャイナタウンは、仁川など一部の街で細々と命脈をつないできたに過ぎなかった。
李承晩、朴正煕両大統領が華僑抑圧政策をとったのである。抑圧政策の背景には、幼年時代に経験した中国の支配に伴う屈辱感があったとされている。
朴政権時代は中国食堂は米飯を売ってはならないという法律を作り、このため華僑が経営する食堂ではチャーハンなどが作れなくなった。また、他の物価が上がっても、ジャージャー麺だけは値上げが認められなかったという。こうして70年代以降、華僑の多くが韓国を離れ、1万人以上の華僑が居住した仁川のチャイナタウンなどが姿を消していった。92年の中韓国交樹立では、台湾国籍だった華僑の多くが韓国の地から去って行った。
しかし、最近の中韓関係の経済的緊密化とともに、華僑が戻って来ており、韓国のチャイナタウンは再び活気づき始めている。昨年には韓国中華総商会と仁川市が永宗島(ヨンジョンド)に大規模なチャイナタウンを建設することで合意。華僑資本の誘致に積極的になっている韓国政府も後押ししている。
すでに仁川の中華街は街並みも新しくなり、新しい店も続々と開店、孔子像などの整備も進んでいる。横浜の中華街と比べると、まだまだ規模は小さいが、仁川や明洞のチャイナタウンは今後の発展が期待されている。
韓国におけるチャイナタウンの復活は社会の開放と国際化を意味するが、米国の影響力が圧倒的だった韓国に中国パワーが押し寄せつつあることの象徴かもしれない。
国民の多くも華僑に対して好感をもって受け入れつつあるようだ。ある調査によると、韓国人の9割以上がチャイナタウン建設に賛成しているという。現在、「韓国人にとって中国は、韓国の未来を開く希望の国として受け入れられている」(韓国紙)。
経済発展を背景に自信を取り戻した韓国が、勃興する中国をどのように受け入れるのか。チャイナタウンの今後を見れば明らかになるかもしれない。中韓の緊密化は日本にも大きな影響を与えることになる。
なお、ソウル大会に次ぐ07年の世界華商大会の開催地は神戸に決定しており、日本でも開催準備に入っている。この頃には日中関係は好転しているだろうか。(『経済界』2005年7月5号掲載)
>ソウルの代表的な繁華街として知られる明洞は華僑がつくった街なのである。
>李承晩、朴正煕両大統領が華僑抑圧政策をとったのである。
日本のパチンコと同じか・・・
ソウル大会の開催は、韓国と華僑・華人・中華圏の結びつきを意味する象徴的な出来事だ。現在、中国では韓流ブームだが、一方、韓国でも中国ブームに沸いている。02年には対中投資額が対米投資を抜いてトップになり、03年には対中輸出も対米輸出を超えた。昨年の韓国の中国への投資額は日本を上回っている。
現在、中国における韓国人留学生の数は全体の4割以上を占めており、日本の倍以上。9・11以後は、留学先の主流は米国から中国へと移った。また、01年からは大学入試で中国語が外国語教科として導入され、高校や大学では中国語コースの新設も相次いでいる。韓国人の華僑学校への入学希望者も増加の一途だ。
こうした中韓両国の良好な関係が、韓国企業の中国市場進出を支えている。日中関係が「政冷経熱」(政治関係は冷え込んでいるが、経済関係は熱い)から「政冷経涼」(経済関係も伸び悩む)といわれているのと対照的である。
中韓の経済的な緊密化や韓国社会の中国ブームとともに、最近、長らく韓国の地を離れていた華僑が再び戻ってきている。世界華商大会のソウル開催は、こうした流れを加速させることになるだろう。
中国との緊密化とともに韓国のチャイナタウンが復活
華僑・華人の数は世界で4000万人とも5000万人ともいわれているが、なかでもチャイナタウン(中華街)は彼らの生活や文化、ビジネスの拠点である。
チャイナタウンは世界中に存在しているが、地理的にも文化的にも中国にもっとも近いにもかかわらず、長らく韓国は世界でも珍しい「チャイナタウンがない国」と呼ばれて、韓国社会の閉鎖性と排他性を示す代表例とされてきた。
かつては朝鮮半島にも多くの華僑が居住していた。朝鮮半島における華僑の歴史は、日清戦争の原因ともなった1882年の「壬午軍乱」の際、半島に進駐した清国の商人に始まるといわれる。 彼らはソウルの明洞(ミョンドン)、小公洞(ソゴンドン)や仁川(インチョン)などに定着した。ソウルの代表的な繁華街として知られる明洞は華僑がつくった街なのである。1930年代には、韓国に居住する華僑は12万人を超えていたとされる。
しかし、45年の独立以降、華僑社会は大きく衰退していった。韓国のチャイナタウンは、仁川など一部の街で細々と命脈をつないできたに過ぎなかった。
李承晩、朴正煕両大統領が華僑抑圧政策をとったのである。抑圧政策の背景には、幼年時代に経験した中国の支配に伴う屈辱感があったとされている。
朴政権時代は中国食堂は米飯を売ってはならないという法律を作り、このため華僑が経営する食堂ではチャーハンなどが作れなくなった。また、他の物価が上がっても、ジャージャー麺だけは値上げが認められなかったという。こうして70年代以降、華僑の多くが韓国を離れ、1万人以上の華僑が居住した仁川のチャイナタウンなどが姿を消していった。92年の中韓国交樹立では、台湾国籍だった華僑の多くが韓国の地から去って行った。
しかし、最近の中韓関係の経済的緊密化とともに、華僑が戻って来ており、韓国のチャイナタウンは再び活気づき始めている。昨年には韓国中華総商会と仁川市が永宗島(ヨンジョンド)に大規模なチャイナタウンを建設することで合意。華僑資本の誘致に積極的になっている韓国政府も後押ししている。
すでに仁川の中華街は街並みも新しくなり、新しい店も続々と開店、孔子像などの整備も進んでいる。横浜の中華街と比べると、まだまだ規模は小さいが、仁川や明洞のチャイナタウンは今後の発展が期待されている。
韓国におけるチャイナタウンの復活は社会の開放と国際化を意味するが、米国の影響力が圧倒的だった韓国に中国パワーが押し寄せつつあることの象徴かもしれない。
国民の多くも華僑に対して好感をもって受け入れつつあるようだ。ある調査によると、韓国人の9割以上がチャイナタウン建設に賛成しているという。現在、「韓国人にとって中国は、韓国の未来を開く希望の国として受け入れられている」(韓国紙)。
経済発展を背景に自信を取り戻した韓国が、勃興する中国をどのように受け入れるのか。チャイナタウンの今後を見れば明らかになるかもしれない。中韓の緊密化は日本にも大きな影響を与えることになる。
なお、ソウル大会に次ぐ07年の世界華商大会の開催地は神戸に決定しており、日本でも開催準備に入っている。この頃には日中関係は好転しているだろうか。(『経済界』2005年7月5号掲載)
>ソウルの代表的な繁華街として知られる明洞は華僑がつくった街なのである。
>李承晩、朴正煕両大統領が華僑抑圧政策をとったのである。
日本のパチンコと同じか・・・
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