李承晩

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こんな活動をしている人もいる・・

投稿者: jgeilsbandfreek 投稿日時: 2006/11/25 18:15 投稿番号: [68 / 2701]
20年後の<春の日>に 藤井たけし

先日、<春の日>という演劇を見た。イム・チョル(績旦酔)の同名の小説を原作者自身も加わって舞台化したものだが、その名からも推察できるように光州事件を扱ったものだ。

原作は光州を舞台に西暦1980年5月17日から26日までの十日間を描いた全5巻の長編小説で、複数の登場人物と複数の舞台を同時並行的に描くことで立体感ある叙述に成功している。しかし舞台はそれをわずか3時間弱の時間に収めているため、あらすじだけを見せられているような感がなくはなかった。とはいえ、光州事件の具体的な過程を国立中央劇場で一般の観客に見せることができるということ一つを取っても大きな意味があるだろう。もちろん今や光州事件に関する本や資料集も多くあり関心のある人にしてみれば今更のような内容ではあったろうが、これが韓国社会の変化を示しているものであることは確かだ。

内容的にとりわけ考えさせられたのは、国軍に包囲されるなかでいわば「死へと向かう共同体」が作られていく過程だ。昨年出版されたチェ・ジョンウン(置舛錘)の『5月の社会科学』という、言説分析を通して光州事件に新たな光を投げかけた画期的な本でも「絶対共同体」という概念を用いて論じられていたが、空挺部隊の圧倒的な暴力を前に「共に死のう」というスローガンが現れ、そして実際に多くの人が武装解除を拒否し死へと向かって行ったのである。そしてさらに注意すべきは(少なくとも舞台上では)最後の抗戦へと進むことができたのは男性のみだったという点だ。女性はその意志に関わらず、最後の抗戦から排除された。ここに「絶対共同体」の持つ男性的均質性(homosociality)を読み取ることは極めてたやすいだろう。

民主化の進展は、当然その過程をも批判の対象とせずにはおかない。「5・18」といえば軍部独裁に文字どおり命を懸けて抵抗した、民主化運動の<聖域>にも等しい存在だったわけだが、「民主対独裁」という構図を離れて観察することのできる状況が今、生まれつつあるのだろう。そしてそれは同時に光州事件の犠牲者を一方的に聖化し彼岸の存在へと追いやってしまうことなく、その後の20年間を捉えかえすことの重要性を示唆するものでもある(ほぼ同時期に公開されていた映画<はっか飴>も光州事件によって人生を踏み誤った一人の人物を描いていた)。

包囲下で発せられた「我々は死んでいっているのに、ソウル!ソウルは何をしているんだ!釜山、仁川はなぜこんなにも静まりかえっているんだ!」という叫びは、同時に東京は、大阪は、そして小学生だったわたしが暮らしていた三重の片田舎は何をしていたのかを問うている。

今この叫びにいかに応えることができるのか。これは20年という時間を飛び越えてしまうのでなく、しかし20年前の春の日と現在とをつなげる作業とならなければならないだろう。


「藤井たけし」さんって、どんな方?
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