4.3事件 追加
投稿者: jgeilsbandfreek 投稿日時: 2006/11/16 05:40 投稿番号: [31 / 2701]
歴史の教訓に学びつつ
持続的な反戦・平和の声を!!
海技協労 2003.4.21.
■ 去る4月10、11日と、日暮里のサニーホールで「済州島4・3事件55周年記念講演とマダン劇」の夕べ『漢拏(ハルラ)の慟哭』が催されました。
済州島4・3事件とは、第2次世界大戦が日本を含めた枢軸国の敗北に終わり、日帝36年のくびきから解放されたもののアメリカ軍政下にあった南朝鮮で、民衆の朝鮮統一の願いを踏みにじって南北を分断し、李承晩を押し立てて南に単独の親米政権を樹立しようとする動きに対して“単独選挙ボイコット”を掲げて民衆が1948年4月3日に蜂起、
米軍や警察・極右団体によって島民の4人に1人とも3人に1人とも言われる7〜8万人が虐殺されたというものです。
ところが米軍の庇護の下、単独選挙によって成立したとされる李承晩・朴成熙軍事独裁―親米政権の下では、この事件はいっさいタブーとされ、犠牲者の数も正確には分らないまま慰霊もされず、今日に至ってしまったのです。
その後、光州事件などを経て韓国社会の民主化が進み、かつてはKCIA=韓国中央情報部によって拉致事件まで引き起こされた金大中氏が大統領になる中で、4・3事件もようやく社会的に認知されるようになり、2000年度からは政府直属の「済州島4・3事件真相調査団」による事態の究明が進められてきました。
そして、先頃まとめられた報告書では韓国政府に対して、政府による公式謝罪・追悼記念日の設置・平和公園の建設・関係者への生活保障・真相究明の継続等、7項目にわたる建議が述べられるまでになったということです。
■ 「夕べ」は、済州島出身の在日韓国・朝鮮の人々も含めて約500人が参加(両日合せて1050人)、全員で黙祷をささげた後、作家の梁石日さんの挨拶に続いて真相調査団の梁祚勲団長が調査結果を報告、この日のために来日した劇団ノリぺ・ハルラサンの人々によってマダン劇『漢拏の慟哭』が上演されました。
劇は農民の1人・トックンを主人公に、45年8月15日の日本の敗戦―朝鮮民衆にとっての解放の日を起点として、日帝によって奪われていた自らの文字や歴史の学習に始まり、4・3事件を経、弾圧を逃れて一時漢拏山に篭ったものの、その後山を下り、朝鮮戦争で戦火の犠牲になるまでの戦後史の一断面を描いたもので、最後は村人役の役者たちと会場の観劇者とが一緒になって慰霊を行うという、鎮魂の思いを深くたたえた感動的な舞台でした。
北の脅威・有事の法制化が声高に叫ばれる今こそ、私たちは歴史の教訓に深く学びつつ反戦・平和の声を挙げ続けていかなければならないでしょう。
>歴史の教訓に深く学びつつ
そんなことは朝鮮民族には無理。
だから今がある。
どこの労組か知らないが、連帯すると泣き見るよ。
持続的な反戦・平和の声を!!
海技協労 2003.4.21.
■ 去る4月10、11日と、日暮里のサニーホールで「済州島4・3事件55周年記念講演とマダン劇」の夕べ『漢拏(ハルラ)の慟哭』が催されました。
済州島4・3事件とは、第2次世界大戦が日本を含めた枢軸国の敗北に終わり、日帝36年のくびきから解放されたもののアメリカ軍政下にあった南朝鮮で、民衆の朝鮮統一の願いを踏みにじって南北を分断し、李承晩を押し立てて南に単独の親米政権を樹立しようとする動きに対して“単独選挙ボイコット”を掲げて民衆が1948年4月3日に蜂起、
米軍や警察・極右団体によって島民の4人に1人とも3人に1人とも言われる7〜8万人が虐殺されたというものです。
ところが米軍の庇護の下、単独選挙によって成立したとされる李承晩・朴成熙軍事独裁―親米政権の下では、この事件はいっさいタブーとされ、犠牲者の数も正確には分らないまま慰霊もされず、今日に至ってしまったのです。
その後、光州事件などを経て韓国社会の民主化が進み、かつてはKCIA=韓国中央情報部によって拉致事件まで引き起こされた金大中氏が大統領になる中で、4・3事件もようやく社会的に認知されるようになり、2000年度からは政府直属の「済州島4・3事件真相調査団」による事態の究明が進められてきました。
そして、先頃まとめられた報告書では韓国政府に対して、政府による公式謝罪・追悼記念日の設置・平和公園の建設・関係者への生活保障・真相究明の継続等、7項目にわたる建議が述べられるまでになったということです。
■ 「夕べ」は、済州島出身の在日韓国・朝鮮の人々も含めて約500人が参加(両日合せて1050人)、全員で黙祷をささげた後、作家の梁石日さんの挨拶に続いて真相調査団の梁祚勲団長が調査結果を報告、この日のために来日した劇団ノリぺ・ハルラサンの人々によってマダン劇『漢拏の慟哭』が上演されました。
劇は農民の1人・トックンを主人公に、45年8月15日の日本の敗戦―朝鮮民衆にとっての解放の日を起点として、日帝によって奪われていた自らの文字や歴史の学習に始まり、4・3事件を経、弾圧を逃れて一時漢拏山に篭ったものの、その後山を下り、朝鮮戦争で戦火の犠牲になるまでの戦後史の一断面を描いたもので、最後は村人役の役者たちと会場の観劇者とが一緒になって慰霊を行うという、鎮魂の思いを深くたたえた感動的な舞台でした。
北の脅威・有事の法制化が声高に叫ばれる今こそ、私たちは歴史の教訓に深く学びつつ反戦・平和の声を挙げ続けていかなければならないでしょう。
>歴史の教訓に深く学びつつ
そんなことは朝鮮民族には無理。
だから今がある。
どこの労組か知らないが、連帯すると泣き見るよ。
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