小此木・慶大教授
投稿者: jgeilsbandfreak 投稿日時: 2011/01/21 07:50 投稿番号: [2264 / 2701]
小此木・慶大教授「余生は朝鮮半島統一研究に」 2011/01/20 21:39 KST
【東京20日聯合ニュース】日本が35年間朝鮮半島を支配した歴史は否定することができないが、日本が朝鮮半島の統一に貢献できれば、未来の韓日関係は画期的に改善する−−。
慶応大学の小此木政夫教授が18日、3月の定年退職を前に同大で最後の講義を行い、40年間の韓国研究を振り返り、こう語った。
最終講義を行った小此木・慶大教授=18日、東京(聯合ニュース)
小此木教授は1967年、大学3年のときに、中国研究者だった故石川忠雄教授のゼミに入ったことで、中国の朝鮮戦争参戦をテーマに研究を始めた。人生はひょんなことから決められるものだと笑う。当時、日本に韓国や北朝鮮に関心を持つ識者はほとんどいなかった。
1972年8月から2年間、交換留学生として延世大学で学んだ。その後ハワイ大学、ジョージ・ワシントン大学への留学を経て出した博士論文が、代表作「朝鮮戦争 米国の介入過程」(1986年)だ。
日本の朝鮮半島研究の第一人者となった小此木教授は、韓国政治の「三金時代」を築いた金泳三(キム・ヨンサム)元大統領、故金大中(キム・デジュン)元大統領、金鍾泌(キム・ジョンピル)元首相に会い、また2002年韓日ワールドカップ共同開催というアイデアを出し、第2期韓日(日韓)歴史共同委員会の日本側委員長を務めるなど、さまざまな分野で両国を結ぶ活動を展開した。日本が羽田空港を国内線専用にしようとした当時、金浦〜羽田線にチャーター便を残すことを主張したのも小此木教授だったという。
長きにわたる研究の末、多彩な分野で少なくない足跡を残した小此木教授。かつて教授の職に就こうと決心した際、恩師の故石川教授から、教授がすべきことは研究、教育、大学行政、社会貢献、後進育成の5つだと教えられたという。ある程度達成できたが、研究だけはまだ足りないようだと語る。残る人生は「朝鮮半島の分断と統一」をテーマにする研究にささげたいと意欲を示した。
40年間朝鮮半島を見守り続けた日本人老教授の目は、最近の韓国哨戒艦沈没事件、延坪島砲撃に向けられていた。
mazi38@yna.co.kr
>余生は朝鮮半島統一研究に
充分に笑える道を選んだな。
【東京20日聯合ニュース】日本が35年間朝鮮半島を支配した歴史は否定することができないが、日本が朝鮮半島の統一に貢献できれば、未来の韓日関係は画期的に改善する−−。
慶応大学の小此木政夫教授が18日、3月の定年退職を前に同大で最後の講義を行い、40年間の韓国研究を振り返り、こう語った。
最終講義を行った小此木・慶大教授=18日、東京(聯合ニュース)
小此木教授は1967年、大学3年のときに、中国研究者だった故石川忠雄教授のゼミに入ったことで、中国の朝鮮戦争参戦をテーマに研究を始めた。人生はひょんなことから決められるものだと笑う。当時、日本に韓国や北朝鮮に関心を持つ識者はほとんどいなかった。
1972年8月から2年間、交換留学生として延世大学で学んだ。その後ハワイ大学、ジョージ・ワシントン大学への留学を経て出した博士論文が、代表作「朝鮮戦争 米国の介入過程」(1986年)だ。
日本の朝鮮半島研究の第一人者となった小此木教授は、韓国政治の「三金時代」を築いた金泳三(キム・ヨンサム)元大統領、故金大中(キム・デジュン)元大統領、金鍾泌(キム・ジョンピル)元首相に会い、また2002年韓日ワールドカップ共同開催というアイデアを出し、第2期韓日(日韓)歴史共同委員会の日本側委員長を務めるなど、さまざまな分野で両国を結ぶ活動を展開した。日本が羽田空港を国内線専用にしようとした当時、金浦〜羽田線にチャーター便を残すことを主張したのも小此木教授だったという。
長きにわたる研究の末、多彩な分野で少なくない足跡を残した小此木教授。かつて教授の職に就こうと決心した際、恩師の故石川教授から、教授がすべきことは研究、教育、大学行政、社会貢献、後進育成の5つだと教えられたという。ある程度達成できたが、研究だけはまだ足りないようだと語る。残る人生は「朝鮮半島の分断と統一」をテーマにする研究にささげたいと意欲を示した。
40年間朝鮮半島を見守り続けた日本人老教授の目は、最近の韓国哨戒艦沈没事件、延坪島砲撃に向けられていた。
mazi38@yna.co.kr
>余生は朝鮮半島統一研究に
充分に笑える道を選んだな。
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