文献
投稿者: jgeilsbandfreek 投稿日時: 2006/11/08 07:40 投稿番号: [21 / 2701]
(資料1)
第25回サントリー学芸賞 選評
<政治・経済部門>
木村 幹(きむら かん)(神戸大学大学院国際協力研究科助教授)
『韓国における「権威主義的」体制の成立 ―― 李承晩政権の崩壊まで』(ミネルヴァ書房)
1948年8月、朝鮮半島が日本の支配から解放された3年後、李承晩が大統領となって大韓民国が成立した。そして李承晩は、朝鮮戦争を超え、60年4月に失脚、亡命するまで、その地位にあった。1年後、61年5月、クーデタが起こり、朴正煕が実権を掌握し、79年10月に暗殺されるまで、権力を掌握することになる。
35年の植民地支配と、朴正煕の18年の開発独裁にはさまれた、李承晩の時代についてのイメージは乏しい。国内に基盤のなかった李承晩が、なぜ、12年の統治をなしえたのか、そしてそれは、のちの韓国の政治にどのような影響を残したのだろうか。本書は、そのような問題、つまり植民地時代と朴正煕時代をつなぐ李承晩の時代が、なぜ、どのようなものとして存在したかを分析し、あわせて、植民地から独立した新興諸国の政治に関するいくつかの普遍的な問題を提起した、注目すべき著作である。
植民地時代からの連続性に関して、著者が注目するのは東亜日報グループである。その創設者、金性洙は、全羅北道の富裕な地主の家に生まれ、早稲田大学に学んだ。金は京城紡績を経営して発展させ、湖南財閥を築いた。同時に、朝鮮の近代化のために「朝鮮の早稲田大学」が必要だと考え、私学と新聞の経営に乗り出し、知的・政治的世界に強い影響力を持つようになった。ところが、京城紡績の発展を可能にしたのは、朝鮮総督府系の朝鮮殖産銀行からの融資であった。興味深いのは、東亜日報グループに、民族派の「元老」であり、同時に親日派の巨魁である朴泳考が深く関わっていたことである。このように、東亜日報グループは、民族的でありながら、親日的な性格を持っていた。それは、独立後には、強い指弾を浴びる可能性を持つ危険な伝統だった。
一方、大韓民国の初代大統領となった李承晩は、1905年に高宗の密使を務め、アメリカに亡命してプリンストン大学で博士号を取得したクリスチャンであった。プリンストンはかつてウィルソン大統領が学長を勤めた大学であり、三・一運動がウィルソンの民族自決の提唱に強い影響を受けていたことも、重要であった。こうして、李承晩は、独立運動、アメリカとの提携、反共という点で、強い正統性を身にまとっていた。しかし、李承晩は、朝鮮における現実的な政治勢力とは、ほとんど関係がなかった。こうして、生き残りをはかる東亜日報グループと、手足を必要とする李承晩との提携が、成立するように見えた。
しかし、そうはならなかった。なぜそうならなかったかも、これまた大変面白い話なのだが、読んでいただいたほうがいいだろう。とにかく本書は、李承晩時代という研究の空白に、韓国政治における連続性という観点から切り込んだ力作である。時に概念や論旨の厳密性の点で疑問に感じるところもあるが、真っ向から取り組む大胆さとエネルギーが、著者の本領なのだろう。ぜひ、そうした美質をなくさないで発展させてほしいと思う。
北岡 伸一(東京大学教授)評
探してみようかな。
第25回サントリー学芸賞 選評
<政治・経済部門>
木村 幹(きむら かん)(神戸大学大学院国際協力研究科助教授)
『韓国における「権威主義的」体制の成立 ―― 李承晩政権の崩壊まで』(ミネルヴァ書房)
1948年8月、朝鮮半島が日本の支配から解放された3年後、李承晩が大統領となって大韓民国が成立した。そして李承晩は、朝鮮戦争を超え、60年4月に失脚、亡命するまで、その地位にあった。1年後、61年5月、クーデタが起こり、朴正煕が実権を掌握し、79年10月に暗殺されるまで、権力を掌握することになる。
35年の植民地支配と、朴正煕の18年の開発独裁にはさまれた、李承晩の時代についてのイメージは乏しい。国内に基盤のなかった李承晩が、なぜ、12年の統治をなしえたのか、そしてそれは、のちの韓国の政治にどのような影響を残したのだろうか。本書は、そのような問題、つまり植民地時代と朴正煕時代をつなぐ李承晩の時代が、なぜ、どのようなものとして存在したかを分析し、あわせて、植民地から独立した新興諸国の政治に関するいくつかの普遍的な問題を提起した、注目すべき著作である。
植民地時代からの連続性に関して、著者が注目するのは東亜日報グループである。その創設者、金性洙は、全羅北道の富裕な地主の家に生まれ、早稲田大学に学んだ。金は京城紡績を経営して発展させ、湖南財閥を築いた。同時に、朝鮮の近代化のために「朝鮮の早稲田大学」が必要だと考え、私学と新聞の経営に乗り出し、知的・政治的世界に強い影響力を持つようになった。ところが、京城紡績の発展を可能にしたのは、朝鮮総督府系の朝鮮殖産銀行からの融資であった。興味深いのは、東亜日報グループに、民族派の「元老」であり、同時に親日派の巨魁である朴泳考が深く関わっていたことである。このように、東亜日報グループは、民族的でありながら、親日的な性格を持っていた。それは、独立後には、強い指弾を浴びる可能性を持つ危険な伝統だった。
一方、大韓民国の初代大統領となった李承晩は、1905年に高宗の密使を務め、アメリカに亡命してプリンストン大学で博士号を取得したクリスチャンであった。プリンストンはかつてウィルソン大統領が学長を勤めた大学であり、三・一運動がウィルソンの民族自決の提唱に強い影響を受けていたことも、重要であった。こうして、李承晩は、独立運動、アメリカとの提携、反共という点で、強い正統性を身にまとっていた。しかし、李承晩は、朝鮮における現実的な政治勢力とは、ほとんど関係がなかった。こうして、生き残りをはかる東亜日報グループと、手足を必要とする李承晩との提携が、成立するように見えた。
しかし、そうはならなかった。なぜそうならなかったかも、これまた大変面白い話なのだが、読んでいただいたほうがいいだろう。とにかく本書は、李承晩時代という研究の空白に、韓国政治における連続性という観点から切り込んだ力作である。時に概念や論旨の厳密性の点で疑問に感じるところもあるが、真っ向から取り組む大胆さとエネルギーが、著者の本領なのだろう。ぜひ、そうした美質をなくさないで発展させてほしいと思う。
北岡 伸一(東京大学教授)評
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