李承晩

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東アジアの3等船室

投稿者: jgeilsbandfreak 投稿日時: 2008/10/15 04:43 投稿番号: [1553 / 2701]
さすが、黒田さん。


【から(韓)くに便り】ソウル支局長・黒田勝弘   東アジアの3等船室
2008.10.15 03:33

  先ごろ中朝国境の鴨緑江流域を旅行してきた。中国側に点在する古代・高句麗(紀元前1世紀〜後7世紀)の史跡と白頭山(中国名・長白山)観光が目的だった。韓国の仁川港から船で中国の丹東に上陸し、そこから往復1700キロをバスで走った。

  韓国から中国経由の白頭山旅行はこれで4回目だが、今回は文字通り「苦難の行軍」だった。

  バスは座席ベルトもついていない、狭くて硬いシートの中国製だった。田舎道は舗装がなく、あっても舗装が悪く揺れがひどい。一帯はほとんどが見渡す限りのトウモロコシ畑。途中にトイレなどない。女性客はバスが止まるたびに、トウモロコシ畑に駆け込んで用を足した。

  鴨緑江沿いの旧・南満州も都市はともかく、農村地帯には「中国の驚異の発展ぶり」も北京五輪の「文明服務」もまだ及んでいないようだった。

  この旅は、鴨緑江越しに北朝鮮をながめるのも“売り物”になっていた。河口の丹東の対岸は新義州で、中流の集安の対岸は満浦。いずれもまず大きな煙突の工場が目に入る。北朝鮮育ちという中国人ガイドは、バスのマイクを手に新義州では「あれは製紙工場」、満浦では「あれは銅の精錬工場」といい、いずれも「日本時代のものだが今も動いている。日本の技術、実力は正直に認めなければならない」というのだった。

  途中、行きと帰りに通化で2泊した。敗戦直後、引き揚げの日本人居留民に対するいまわしい“虐殺事件”で歴史に残る街だ。

  今や人口220万の大都市になっていて朝市のにぎわいは楽しいが、朝の人混みの中で人びとの体臭に触れながら「満州と日本人」の過去に思いは複雑だった。

  通化で泊まったホテルのテレビのチャンネルに「延辺衛視(延辺朝鮮族自治州の衛星テレビ放送?)」という朝鮮語の放送があった。何げなく見ていると、画面の下の方に漢字で「思想解放快速発展」と出ている。テレビを通じた一種の“公共宣伝”みたいなものだった。

  これはいったい誰に向かって言っているのだろう。中朝国境地帯の衛星放送だから電波は北朝鮮にも届く。北朝鮮にとっては実にイヤミな標語ではないか。

  「苦難の行軍」は往復2泊の船もそうだった。中国の1万トン級大型フェリーだったが、ぼくら韓国からの観光客は3等船室の大広間に詰め込まれ、まったく仕切りのない幅1メートルほどのマットの布団で“雑魚寝”だった。

  韓国人のおしゃべりもうるさいが中国人はもっとうるさい。それがキャビンの通路やデッキでメシを食ったり酒盛りしたりギャンブルしたり。そして跡はゴミの山。デッキで夕日をながめていると、横の男がしきりに「プッ、プッ」と手鼻をする。下の甲板に向かってやたらつばを吐くのもいる。

  50年近く前に読んだ金素雲著『アジアの四等船室』を思いだした。著者は戦前・戦後の日本で活躍した韓国人作家。戦後、フランスの船で船旅した際、まともな扱いをされなかった“四等船室”のアジア人乗客たちのことを紹介しながら、一方でアジア的な「心の豊かさ」も書いているのだが。

  船の中で「東アジア共同体」論も頭に浮かんだ。近年よく聞く、日本と韓国、中国でヨーロッパみたいな地域共同体を作ろうという話だが、いささか飛躍していえば「こりゃ、大変だ。とてもとても…」というのが実感だった。
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