李承晩

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日本政府は謝罪、賠償を 2

投稿者: jgeilsbandfreak 投稿日時: 2008/09/05 04:55 投稿番号: [1500 / 2701]
リ・ジョンヒさん

  平壌市牡丹峰区域に住むリ・ジョンヒさん(63)にとって被爆は、自身の肉体的苦痛だけではない。家族をも失ったのだ。
  1945年5月5日、広島県安佐郡祇園村で生まれたリさんは生後3カ月で被爆した。
  家族の中で原爆の被害が一番ひどかった父親は、祖国解放後「被爆者健康手帳」の発給を受けて日本で治療も受けた。ひどい頭痛と慢性的な疲労に苦しみながらも、広島で朝連、そして総聯の専従活動を続けた。
  広島朝鮮第4初級学校を卒業して九州の朝鮮学校に進学したリさんは、家族とともに61年に帰国した。総聯広島県本部委員長を務めていた父親は、68年に家族の後を追って帰国した。
  リさんの父母、兄たちは日本で暮らしていた時から被爆の後遺症で苦しんでいた。帰国してからも治療を受けたが、健康は回復しなかった。
  「父は85年に死亡した。被爆の後遺症だったのは明らかだ。ずっと苦しみながら亡くなった。91年には脳血症で母を失った。2年前、兄は腸ガンを患い亡くなった。食べたものが消化されず始終痛みを口にしていた」
  リさん自身も常に頭痛に悩まされている。父母や兄たちに比べれば症状は軽かったという。しかし00年以降、被爆の後遺症が著しく現われるようになった。
  「脳血症を発症して半身麻痺になった。病院で治療を受けて今は自力で歩くことはできるが、まだ右半身が痺れる。血液の循環が悪いようだ」
  リさんは、日本政府が現在取っている「援護法」に対して憤りを禁じえないという。「援護法」が定めた医療支援は、国交のない朝鮮の被爆者たちには適用されない。それなのに、日本は謝罪どころか人道的次元での対策さえ全く講じていない。
  「過去の清算もしないで、最近は『制裁』だの何だのと言っている。怒りを抑えることができない」
  被爆で家族を失い、また自身も半身麻痺を患ったリさんは現在、死がいつやって来るのかという恐怖と共に日々を暮らしている。
  「日本政府は、朝鮮に住む被爆者が全員死ねば問題が解決されると思っているのか」

ソン・キョンスクさん

  平壌市牡丹峰区域に住むソン・キョンスクさん(63)は45年2月、広島県の壬生で生まれ、その年の8月に広島市安佐南区山本町で被爆した。当時の記憶はない。
  63年に帰国したソンさんが自身が被爆者であることを知ったのは、70年代に入ってからだった。
  日本で暮らす家族が「被爆者健康手帳」を交付されたという知らせを聞き、初めて自分の健康状態と原爆との関わりを考えるようになった。
  「広島で被爆した事はわかっていたが、それまで特別に悪いところもなく大きな病気もしなかった。体は丈夫ではなかったけれど、それが被爆の影響だとは考えもしなかった」
  しかし、歳月を経て徐々に健康状態に変化が生じた。疲労がたまり、容易に回復しない日が続いた。さらに、毎日頭痛に襲われるようになった。00年代に入り病院へ行くと、血液の循環に障害があるということが判明した。
  「常に体がだるく、日常生活がままならないほどの眠気に襲われた」
  その後、通院しながら治療薬に頼る生活を余儀なくされた。
  「現在、被爆者は優先的に治療と薬が得られるようになっている。しかし、国のそうした配慮を申し訳なく思っている。私たちが多くの薬を使わなければ、それだけもっと他の人たちを助けることができるからだ。私たちが使用する薬は、日本政府が責任を持って送るべきだ」
  彼女は、在朝被爆者の援護のために実質的な対策を講じようとしない日本政府に怒りがこみ上げてくるという。
  「日本政府は私たちに、来日すれば治療援護をすると言うが、本当に被爆者を思う気持ちがあるのなら、私たちが治療を受けられる方法を考えるべきだ。日本が朝鮮を植民地にしたことが、わたしのような在朝被爆者問題発生の根源だ」 [朝鮮新報 2008.9.3]


怒りがこみ上げてくるのは日本国民の方だ!!!
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