真の勝者はユーゴスラビア
投稿者: jgeilsbandfreak 投稿日時: 2008/06/15 10:44 投稿番号: [1365 / 2701]
記事入力 : 2008/06/15 10:28:58
「朝鮮戦争、真の勝者はユーゴスラビア」
ソ連による侵攻の危機から脱出し、第3世界のリーダー国家に
韓国外大キム・チョルミン教授の主張
社会主義国家の中で唯一、北朝鮮の南侵説を支持
ソ連との戦争を避け「中立路線」を維持
「今朝未明、北朝鮮人民民主主義共和国の軍隊が、日本軍の武装解除のために米ソ間で樹立した北緯38度の全境界線を越え、韓国侵攻に突入した」。1950年6月25日、東ヨーロッパのある社会主義国家の国営新聞ボルバはこのように報じた。北朝鮮とソ連が、戦争勃発の状況を「韓国軍の先制攻撃を撃退し、反撃を試みた」と歪曲(わいきょく)して宣伝していたそのときに、この国は「北朝鮮の南侵で戦争が起こった」という事実を冷静に見抜いていた。その唯一の社会主義国家とは、ユーゴスラビアだった。
ソ連をはじめとした共産圏の国家は、戦争後もひたすら韓国による「北侵説」を定説として受け入れてきた。これは西欧の一部知識人にまで及び、フランスの哲学者ジャン・ポール・サルトルですら、一時は北侵説を信じていたほどだった。ところが、唯一ユーゴスラビアだけは、ずっと「南侵説」を支持してきた。一体なぜなのか。図書出版アカネットは最近、優秀な博士論文を単行本に編集し『韓国の若い知性』シリーズ10巻を発行した。その中に収められている韓国外大セルビア・クロアチア語科キム・チョルミン教授の論文「韓国戦争と東ヨーロッパ」は、この問題を正面から取り上げている。
ユーゴスラビアのベオグラード国立大で博士学位を取得したキム教授は、10年前ユーゴ側の資料を閲覧していたところとても驚いたという。韓国から遠く離れたこの異国に、6・25戦争(朝鮮戦争)関連の文書が極めて大量にあったからだ。大部分の資料は、一方に偏るのではなく、非常に客観的な視角から6・25戦争を観察していた。
独自の路線を進もうとしたユーゴのチトーとユーゴを統制したかったソ連のスターリンとの間の対立は、1948年のコミンフォルムで表面化した。ユーゴは周辺の社会主義国家から孤立し、親西欧路線を歩まなければならなかった。ソ連がいつ侵攻してくるか分からない、一触即発の状況だった。キム教授は「秘密が解除されたユーゴ側の文書を調査してみると、ソ連はユーゴの周辺国家に武器と軍需物資を提供し、1950年夏以降、大々的なユーゴ侵攻を準備していた」と語った。
ところが、砲声が轟いたのは、意外にも全く別な場所だった。1950年6月、ユーゴのメディアは「バルカンの代わりに韓国で戦争が起こった」と報じた。自らの運命と密接に関っている戦争だと判断したわけだ。実際、米国は6・25戦争を契機としてユーゴの戦略的重要性を一層深く認識するようになり、韓国軍の強い抵抗により洛東江での戦いが長引いたことで、ソ連のユーゴ侵攻計画は実現しなかったという。
こうした状況から、ユーゴは韓半島(朝鮮半島)での戦争を最大限「客観的」に見なければならず、その結果「南侵説」を支持するようになった、というのがキム教授の分析だ。中国軍が参戦する頃、ユーゴ側の秘密文書には「ソ連が中国を韓半島に引き入れるのは、東ヨーロッパの軍隊を動員しわれわれ(ユーゴスラビア)と西欧を攻撃しようとするものだと見られる。場合によっては第3次大戦に拡散する可能性もある」という恐るべき状況認識も現れている。当時、国連安保理議長国だったユーゴは戦争中、終始「中立国」の立場を固守した。
キム教授は「6・25戦争の真の勝者は、米国でもソ連でもなく、ユーゴスラビアだった」と主張する。目前に迫っていた戦争を避け国家的危機を克服することができ、6・25戦争の過程を見守る中で、「冷戦勢力同士の先鋭な利害関係の間で、どちらか一方のブロックに編入されにくい国家が共存していること」を悟るようになった、というわけだ。「ユーゴが非同盟外交政策を樹立し第3世界のリーダー国家として台頭し得た重要な歴史的背景が、すなわち6・25戦争だった」というのがキム教授の研究における結論だ。
兪碩在(ユ・ソクジェ)記者 朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
を〜を、そうかいそうかい。
「朝鮮戦争、真の勝者はユーゴスラビア」
ソ連による侵攻の危機から脱出し、第3世界のリーダー国家に
韓国外大キム・チョルミン教授の主張
社会主義国家の中で唯一、北朝鮮の南侵説を支持
ソ連との戦争を避け「中立路線」を維持
「今朝未明、北朝鮮人民民主主義共和国の軍隊が、日本軍の武装解除のために米ソ間で樹立した北緯38度の全境界線を越え、韓国侵攻に突入した」。1950年6月25日、東ヨーロッパのある社会主義国家の国営新聞ボルバはこのように報じた。北朝鮮とソ連が、戦争勃発の状況を「韓国軍の先制攻撃を撃退し、反撃を試みた」と歪曲(わいきょく)して宣伝していたそのときに、この国は「北朝鮮の南侵で戦争が起こった」という事実を冷静に見抜いていた。その唯一の社会主義国家とは、ユーゴスラビアだった。
ソ連をはじめとした共産圏の国家は、戦争後もひたすら韓国による「北侵説」を定説として受け入れてきた。これは西欧の一部知識人にまで及び、フランスの哲学者ジャン・ポール・サルトルですら、一時は北侵説を信じていたほどだった。ところが、唯一ユーゴスラビアだけは、ずっと「南侵説」を支持してきた。一体なぜなのか。図書出版アカネットは最近、優秀な博士論文を単行本に編集し『韓国の若い知性』シリーズ10巻を発行した。その中に収められている韓国外大セルビア・クロアチア語科キム・チョルミン教授の論文「韓国戦争と東ヨーロッパ」は、この問題を正面から取り上げている。
ユーゴスラビアのベオグラード国立大で博士学位を取得したキム教授は、10年前ユーゴ側の資料を閲覧していたところとても驚いたという。韓国から遠く離れたこの異国に、6・25戦争(朝鮮戦争)関連の文書が極めて大量にあったからだ。大部分の資料は、一方に偏るのではなく、非常に客観的な視角から6・25戦争を観察していた。
独自の路線を進もうとしたユーゴのチトーとユーゴを統制したかったソ連のスターリンとの間の対立は、1948年のコミンフォルムで表面化した。ユーゴは周辺の社会主義国家から孤立し、親西欧路線を歩まなければならなかった。ソ連がいつ侵攻してくるか分からない、一触即発の状況だった。キム教授は「秘密が解除されたユーゴ側の文書を調査してみると、ソ連はユーゴの周辺国家に武器と軍需物資を提供し、1950年夏以降、大々的なユーゴ侵攻を準備していた」と語った。
ところが、砲声が轟いたのは、意外にも全く別な場所だった。1950年6月、ユーゴのメディアは「バルカンの代わりに韓国で戦争が起こった」と報じた。自らの運命と密接に関っている戦争だと判断したわけだ。実際、米国は6・25戦争を契機としてユーゴの戦略的重要性を一層深く認識するようになり、韓国軍の強い抵抗により洛東江での戦いが長引いたことで、ソ連のユーゴ侵攻計画は実現しなかったという。
こうした状況から、ユーゴは韓半島(朝鮮半島)での戦争を最大限「客観的」に見なければならず、その結果「南侵説」を支持するようになった、というのがキム教授の分析だ。中国軍が参戦する頃、ユーゴ側の秘密文書には「ソ連が中国を韓半島に引き入れるのは、東ヨーロッパの軍隊を動員しわれわれ(ユーゴスラビア)と西欧を攻撃しようとするものだと見られる。場合によっては第3次大戦に拡散する可能性もある」という恐るべき状況認識も現れている。当時、国連安保理議長国だったユーゴは戦争中、終始「中立国」の立場を固守した。
キム教授は「6・25戦争の真の勝者は、米国でもソ連でもなく、ユーゴスラビアだった」と主張する。目前に迫っていた戦争を避け国家的危機を克服することができ、6・25戦争の過程を見守る中で、「冷戦勢力同士の先鋭な利害関係の間で、どちらか一方のブロックに編入されにくい国家が共存していること」を悟るようになった、というわけだ。「ユーゴが非同盟外交政策を樹立し第3世界のリーダー国家として台頭し得た重要な歴史的背景が、すなわち6・25戦争だった」というのがキム教授の研究における結論だ。
兪碩在(ユ・ソクジェ)記者 朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
を〜を、そうかいそうかい。
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