李承晩

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

金正日死亡説

投稿者: jgeilsbandfreak 投稿日時: 2008/06/09 05:06 投稿番号: [1358 / 2701]
記事入力 : 2008/06/08 17:02:56
ともすると飛び出す金正日死亡説

  最近、インターネットメディアを通じて広まった北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)総書記の死亡説は、中国やモスクワにまで飛び火して騒動となったが、結局は誤報に終わった。
  今回の騒動は韓国のあるインターネットメディアが「北朝鮮の軍部に情報ネットワークを持つ消息筋」の話を引用し、「金総書記が5月26日午後7−8時ごろに平壌と黄海南道安岳郡の間の道路で襲撃され死亡した」と伝えたことがきっかけだった。しかし、騒動は韓国政府が公式否定して終わった。
  金総書記の「落馬説」「事故説」「危篤説」などうわさはなぜ繰り返されるのか。それは金総書記が隠居生活を送っているだけでなく、絶対権力を握る彼の死がすなわち体制変化を意味するからだ。
  金総書記の事故説は今回が4回目だ。最初は1992年に乗馬中の金総書記が落馬し、意識不明になったという情報だった。その後、健在であることが判明し、説は説止まりだったが、当時金総書記の料理人を務めていた藤本健二氏は「金総書記は落馬して頭部をひどく負傷した」と証言した。藤本氏の証言は落馬事件が事実だったことを証明している。
  当時、北朝鮮内部でも権力後継者とみられていた金総書記が公式の場に何カ月も姿を見せず、「死亡説」が絶えず流れていた。北朝鮮政府幹部だった脱北者は「何かあったといううわさはあったが、情報が封鎖されており、高級幹部ですら情報に焦りを感じていた。新しい指導者が立つのではないかとのうわさも広がり、北朝鮮内部は緊張していた」と振り返った。当時、北朝鮮内部では金総書記がてんかんにかかり、人と会うのを避けているとのうわさが出回り、国家安全保衛部がうわさの出所に対する内偵を進めたという。
  2回目は金総書記の「襲撃説」。産経新聞が1994年2月18日に「金総書記の身辺異常説と関連し、警察当局が事実確認を行った結果未確認情報を得た」と伝えたことがきっかけだった。当時の李基沢(イ・ギテク)民主党代表が外国人に対し、「金総書記が政権を担当できないほどの致命傷を負った」と発言して広がったが、結局は事実無根と判明した。
  3回目は2004年11月25日、ソウル汝矣島の証券街で広がった銃撃死亡説だった。内容は「金総書記に粛清された張成沢(チャン・ソンテク)労働党第一副部長(金正日の妹の夫)の息子が撃った銃弾に当たり死亡した」というもので、軍幹部4人が中国に亡命したという尾ひれも付いていた。しかし、国家情報院は同日、死亡説に「根拠はない」との判断を下し、騒動は一日で幕となった。当時、韓国に亡命したファン・ジャンヨプ元労働党書記が「北朝鮮のナンバー2は張成沢だ」と述べると、張成沢氏が労働党第1副部長を退くという出来事もあった。このうわさが誤って伝わり「銃撃説」という騒動に発展したものだ。
  一方外部には知られなかったが、北朝鮮内部で死亡説が流れることもあった。北朝鮮政府幹部だった脱北者は「1980年代後半に死亡した呉振宇(オ・ジンウ)人民武力部長が金総書記に贈られたメルセデスベンツで木に衝突する事故を起こすと、翌日には幹部の間で金総書記が死亡したといううわさが広がり非常事態となった」と証言した。その後、「呉振宇氏の事故だった」とする内部発表がありうわさは解消されたという。
  護衛部隊出身の脱北者は「金総書記に対するうわさは、ベールに包まれた最高指導者の全てに関心を持つ住民の口が発信源になっている」と指摘した。大部分の住民は金総書記の夫人が誰で、子供が何人いるのか具体的には知らない。全てが封印されているため、全てが好奇心の対象になる。脱北者のうち相当数は中国や韓国に来てはじめて金総書記の私生活を知ったという。
  中国在住の朝鮮族住民によると、北朝鮮国境の丹東で最近、北朝鮮からやって来た役人や訪問者の間で隠れて読まれている本は藤本健二氏が書いた『金正日の料理人』だという。

姜哲煥(カン・チョルファン)記者   朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

こんなのの生死に半島以外はあまり関心ないと思う。
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)