Re: 今の山口県にいた大内氏
投稿者: doronpa95 投稿日時: 2009/07/05 16:32 投稿番号: [3225 / 4504]
>琳聖太子の子孫、日本に号令する
>琳聖太子を始祖に持つ大内一族は14世紀、荒涼とした山口を1万世帯以上が居住する日本最大の都市として建設した名門の家柄だ。彼らは中国と朝鮮を相手に国際貿易を独占して富を蓄積するなど日本全域に強大な影響力を行使した。14世紀西日本の代表的な封建国家であった山口に首都をたてて200年間、西日本を号令した大内一族の官邸は東西南北長さが200メートルに達し、室町幕府将軍の官邸を規模面で圧倒する。
>大内一族は当時、日本西部地域の周防、長戸など7ヶ国を支配したがこれは今日福岡県、島根県、和歌山県、大阪一部に達する広大な地域に該当する。大内一族は一時この力を土台に当代の実力者であった将軍をはね除けることもした。
>1392年朝鮮王朝が立てられるや琳聖太子の25代孫大内義弘は1395年から毎年、朝鮮に使節を派遣して親書を送った。特に正宗1年の時送った親書で彼は「私は百済の子孫です。日本の人々は私の世系と姓氏を知らないのでこれを詳しく書いて下さい」として自身が百済王族の子孫であることを立証できる記録を公式に要請した。しかし、朝鮮朝廷は大内一族のルーツを確認できる記録を探すことができず、明確な返事を出すことができなかった。
>朝鮮王朝実録によれば大内一族と朝鮮王朝の交流は150年の間200回を越えるほど活発だったが、この過程で先祖に対する確認要請は63回にもなるほど粘り強かった。その時ごとに朝廷が要請を聞き入れることが出来ない理由は当時朝鮮の歴史書物に琳聖太子に対する記録がなかったためだった。
http://blog.livedoor.jp/k_naname/archives/50841364.htmlハッタリだったようです。
>応永の乱(足利義満
VS
大内義弘)
>1392(明徳3)年4月、大内義弘は、明徳の乱の戦功により、和泉と紀伊の守護に就任しました。
12月、大内義弘は、紀伊の南朝方と接触し、南北朝の合体に、重要な役割を果たし、将軍足利義満から足利一門に準ずる扱いを受けました。
1395(応永2)年、大内義弘は、朝鮮貿易にのりだし、巨富を得ました
ttp://www.eonet.ne.jp/~chushingura/p_nihonsi/episodo/051_100/epi079_04.htm
これは メッセージ 3224 (jgeilsbandfreak さん)への返信です.
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