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アジア女性基金

投稿者: jgeilsbandfreak 投稿日時: 2008/10/25 05:35 投稿番号: [2703 / 4504]
というのが気になったので・・・


http://www.awf.or.jp/


調べていくと「?」ということに気づいたようです。

それでも「女の意地」があるようです。
(余談ですが、西田佐知子は好きです。)


  いわゆる「従軍慰安婦」とは、かっての戦争の時代に、一定期間日本軍の慰安所等に集められ、将兵に性的な奉仕を強いられた女性たちのことです。
  これらの人々のことを日本で戦後はじめて取り上げた書物の著者たちは「従軍慰安婦」と呼んできました。したがって、日本政府がこれらの人々の問題に最初に直面した時も、アジア女性基金がスタートした時も、「従軍慰安婦」という言葉を用いていました。しかし、戦争の時代の文書では、「慰安婦」と出てきます。それで、いまでは、「慰安婦」という言葉を使っています。


慰安婦にされた女性たち−韓国


  日中戦争の過程で中国に進出した日本軍が設けた慰安所に、日本人の女性に続いて朝鮮人の女性が慰安婦として送り込まれました。戦争が太平洋・東南アジア地域に拡大すると、朝鮮人の女性はそこにも多く送り込まれました。

  朝鮮からは、まず「醜業婦」であった者が動員されたと思われます。ついで、貧しい家の娘たちが、いろいろな方法で連れて行かれたと考えられます。就業詐欺もこの段階から始まっていることは、 知られています。甘言、強圧など、本人の意思に反する方法がとられたケースについても証言があります。内地では禁じられていた21歳以下の女性が多く連れて行かれたことが知られています。中には16、7歳の少女も含まれていました。
 
金田君子さんの場合
  金田さんはのちに牧師となる朝鮮人の父親と、日本人の母親との間に、東京で生まれました。生後すぐ実母と別れ、韓国へわたってからは一家離散の日々が続くなど生活は苦しく、家族愛にめぐまれない寂しい子ども時代を過ごしたそうです。
  1938年、金田さんが住み込みの女中として働いていた16歳のとき、「よい働き口があるから」と知り合いに勧められ、同じようにだまされ集められた女性たちとともに、中国棗強の慰安所へ送られました。必死に抵抗して日本兵に銃剣で刺された胸の傷や、へし折られた手首の傷は、死ぬまで完全に癒えることはありませんでした。現実から逃避するために吸い始めた阿片の中毒になっていた金田さんは、1945年に治療のために任務を解かれ、生きて終戦を迎えることとなりました。

http://www.awf.or.jp/1/index.html
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