風呂はウリナラ起源
投稿者: jgeilsbandfreak 投稿日時: 2008/05/20 05:22 投稿番号: [2417 / 4504]
〈寄稿〉
手応え十分だった9回目の訪朝
94年からほぼ1年おき
5月の連休中、朝鮮民主主義人民共和国を訪問してきた。新進気鋭の学者、写真家、出版社編集者を率いての一行4人。私としては9回目の訪朝だった。
初訪朝は、金日成主席急逝直後の1994年8月。朝鮮社会科学者協会の招待で2週間滞在した。連日、午前中は「学習」、午後は「視察と見学」という充実した毎日で、北は妙香山、南は開城・板門店まで国内各地もほぼくまなく見て回り、行く先々でVIP待遇を受けた。故関寛治氏に同行して順安空港に到着した時は、出迎えのメルセデスベンツ2台に分乗して万寿台に直行した。主席の銅像に献花する際、朝鮮の風習を知らなかった私は、最敬礼の代わりに合掌して注意されるという一幕もあった。
直前に催された主席の国葬のテレビ中継を東京のテレビスタジオで解説しながら、号泣する民衆の姿を指差して、「あれはみなやらせですよ」としたり顔で語っていた「朝鮮半島専門家」に強い違和感と不信感を抱いたのはこのときだった。日差しの鋭い真夏の広場で、しくしくと泣き続ける市民の群れがあちこちに見られたからだ。「これがやらせのはずがないではないか」と実感した。
私が招待された理由は、IAEA(国際原子力機関)元広報部長という「核問題専門家」として客観的で正しい解説をしていたからというものだったが、これが私と朝鮮の接点、後の強い絆となった。翌95年の大水害の見舞いに私は敢然と立ち上がり、市民レベルの人道支援の先頭に立った。同年12月、日本の民間人として初めて被災地の現地に支援物資を運んだ。
それから14年、私の訪朝はほぼ1年おき、あるいは毎年のペースで続いている。埼玉大学「吉田ゼミ」の学生を引率して金日成総合大学の学生と討論会に臨んだこともある。私のゼミ生が完膚なきまでに論破されたことはいうまでもない。龍川の列車事故被害者見舞いの慰問もした。昨年は平壌外国語大学日本語科に日本語図書160冊を寄贈した。これは現在も継続している。
日朝関係打開糸口探りに
今回の訪朝の目的は、プロの写真家(大村学氏)の「朝鮮の子どもたち」の撮影に立ち会い、自ら資料を集めるとともに、膠着状態の日朝関係打開の糸口をさぐることにあった。「対話を求めるなら、経済制裁を解除し、『万景峰92』号の寄港を認め、総連弾圧を即時中止せよ」と朝鮮側は異口同音に主張した。当然である。
帰国後ただちに、山崎拓、衛藤征士郎、岩国哲人氏ら日朝国交正常化早期実現を模索する国会議員に報告した。「言論活動を通して日本の世論を動かそうとする吉田先生の努力には日頃から敬意を表しています。見ていてください。福田首相在任中に必ずやらせます」と山崎、衛藤の両氏は力強く応じた。岩国氏も「日本国民は拉致問題に『拉致』され、自縄自縛に陥っている。これを一緒に解きほぐしましょう」と決意を語っていた。国会議員に新しい動きが出ている。
「福田首相には失望した。『拉致問題は私の手で解決したい』として政権の座に就いたので期待したが、全く動こうとせず、安倍反動路線を継承している。制裁も3度目の延長をした。福田を見限った」というのが滞在中に接した関係者の感想だったが、「(首相は)決して忘れているわけではない。タイミングを見計らっている」と山崎、衛藤氏らは言う。
訪朝直前、制裁延長決定直前に、延長反対を訴えて面会した町村信孝官房長官も、「核問題をめぐる米朝合意はまだ不確かだし、現段階では延長は不可避だ。しかし制裁にもいろいろあり、部分解除、一部繰り上げ解除もありえる。米朝の動き、北の出方次第だ」と認めていた。成り行き注目である。
1は本題に全然触れていないけど、(笑)
2は大丈夫!
94年からほぼ1年おき
5月の連休中、朝鮮民主主義人民共和国を訪問してきた。新進気鋭の学者、写真家、出版社編集者を率いての一行4人。私としては9回目の訪朝だった。
初訪朝は、金日成主席急逝直後の1994年8月。朝鮮社会科学者協会の招待で2週間滞在した。連日、午前中は「学習」、午後は「視察と見学」という充実した毎日で、北は妙香山、南は開城・板門店まで国内各地もほぼくまなく見て回り、行く先々でVIP待遇を受けた。故関寛治氏に同行して順安空港に到着した時は、出迎えのメルセデスベンツ2台に分乗して万寿台に直行した。主席の銅像に献花する際、朝鮮の風習を知らなかった私は、最敬礼の代わりに合掌して注意されるという一幕もあった。
直前に催された主席の国葬のテレビ中継を東京のテレビスタジオで解説しながら、号泣する民衆の姿を指差して、「あれはみなやらせですよ」としたり顔で語っていた「朝鮮半島専門家」に強い違和感と不信感を抱いたのはこのときだった。日差しの鋭い真夏の広場で、しくしくと泣き続ける市民の群れがあちこちに見られたからだ。「これがやらせのはずがないではないか」と実感した。
私が招待された理由は、IAEA(国際原子力機関)元広報部長という「核問題専門家」として客観的で正しい解説をしていたからというものだったが、これが私と朝鮮の接点、後の強い絆となった。翌95年の大水害の見舞いに私は敢然と立ち上がり、市民レベルの人道支援の先頭に立った。同年12月、日本の民間人として初めて被災地の現地に支援物資を運んだ。
それから14年、私の訪朝はほぼ1年おき、あるいは毎年のペースで続いている。埼玉大学「吉田ゼミ」の学生を引率して金日成総合大学の学生と討論会に臨んだこともある。私のゼミ生が完膚なきまでに論破されたことはいうまでもない。龍川の列車事故被害者見舞いの慰問もした。昨年は平壌外国語大学日本語科に日本語図書160冊を寄贈した。これは現在も継続している。
日朝関係打開糸口探りに
今回の訪朝の目的は、プロの写真家(大村学氏)の「朝鮮の子どもたち」の撮影に立ち会い、自ら資料を集めるとともに、膠着状態の日朝関係打開の糸口をさぐることにあった。「対話を求めるなら、経済制裁を解除し、『万景峰92』号の寄港を認め、総連弾圧を即時中止せよ」と朝鮮側は異口同音に主張した。当然である。
帰国後ただちに、山崎拓、衛藤征士郎、岩国哲人氏ら日朝国交正常化早期実現を模索する国会議員に報告した。「言論活動を通して日本の世論を動かそうとする吉田先生の努力には日頃から敬意を表しています。見ていてください。福田首相在任中に必ずやらせます」と山崎、衛藤の両氏は力強く応じた。岩国氏も「日本国民は拉致問題に『拉致』され、自縄自縛に陥っている。これを一緒に解きほぐしましょう」と決意を語っていた。国会議員に新しい動きが出ている。
「福田首相には失望した。『拉致問題は私の手で解決したい』として政権の座に就いたので期待したが、全く動こうとせず、安倍反動路線を継承している。制裁も3度目の延長をした。福田を見限った」というのが滞在中に接した関係者の感想だったが、「(首相は)決して忘れているわけではない。タイミングを見計らっている」と山崎、衛藤氏らは言う。
訪朝直前、制裁延長決定直前に、延長反対を訴えて面会した町村信孝官房長官も、「核問題をめぐる米朝合意はまだ不確かだし、現段階では延長は不可避だ。しかし制裁にもいろいろあり、部分解除、一部繰り上げ解除もありえる。米朝の動き、北の出方次第だ」と認めていた。成り行き注目である。
1は本題に全然触れていないけど、(笑)
2は大丈夫!
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